世界観を確立した先に待つもの
どこからか音楽が聞こえてくる。
暖かい日の光に包まれた、ちょっと気怠い午後。この状況に似あう音楽は、気怠そうに演奏されているジャズのスタンダートだと思う。「酒バラ」なんて悪くはない。
しかし、僕の耳に届いてきたのは「AKB48のフライングゲット」。
ラテン調のその曲は僕の世界を破壊し、カオスへと誘った————
吹っ切れた人は強い。
僕は本当にそう思うのだ。
誰にも媚びることなく、ただ自分で決めた道を堂々と進む。その姿は見ていて心を打つものがあるし、美しくさえある。
お金なんて関係ない。そう言うと、何をいい大人が青臭いこと言っちゃってるんだよ、と思われるかもしれないが、僕たちは、心のどこかにわずかながらにでも、そのような感情がありはしないだろうか。
考えてみれば、歳と共に価値観は変わっていって、大人になってくるとどうしても経済的なことが付きまとってくる。お金をいかに稼いだかが社会的なステータスと見なされることが多いのが現状だ。そして、「勝ち組、負け組」なんて言葉を作ったりして、「お金をいかに稼いだか」ということを勝ち負けの定義とするならば、お金をたくさん稼いでいる人が勝ちになるし、「ストレスなく生活できるか」を勝ち負けの定義とするならば、田舎に移住してスローライフを送ることが勝ちになる。
そうやって僕たちは、自分を何とか勝者の側に持っていこうと定義をあれこれこねくり回して、相手の足を引っ張ろうとする。
夢を追いかけてはいるが、経済的に不自由な人を見れば「夢なんて追いかけても、食っていけなきゃ意味ないよね」と見下し、逆に休日でも働きに働いてお金を稼ぐ人を見れば「お金を稼ぐだけが人生じゃないのに」なんて見下したりする。
結局は完璧な人生なんて存在しないのだ。他人を見下さなきゃ自分の存在を確認することが出来ない、哀れな集合体が僕たち人間、いや、日本人なのかもしれない。
そういった風潮から逃れるのは意外と難しい。自分の人生を精一杯生きたとしても、やりたいことは山のようにあるし、他人の家の芝は青く見えるなんてことは多々ある。考えてみればそういう人生は、秋から冬にかけて風に舞う枯葉のような人生で、自分の意志でで何も決定出来ないでいるような気がしてならない。
こんなことを偉そうに書いてきた僕も、枯葉のように空にたゆたう人生を送ってきたのかもしれない。自分の芯が無いのだ。その結果がこのパニック障害かもしれないと、思う時がある。
吹っ切れた人は輝いて見える。
そんなことを実感した出来事がある。
僕の彼女は秋葉原に住んでいる。僕は山梨の方面に住んでいるので、彼女の家まではかなり遠い。それでも、週末になるとせっせと彼女の家へ通っていた。ちなみに、僕の住んでいる地域はいわゆるベッドタウンという街で、家族で住んでいる世帯が多く、あまり変わった人はいない。たまに昼下がりの公園に行くと、定年退職して手持無沙汰なのか、暇を持て余している老人がいるぐらいだ。
しかし、秋葉原のような都心になると様々な人がいる。
一見平和そうな公園でも、中に足を踏み入れて公園を見渡すと、クタクタの背広を着たサラリーマンがベンチで寝ていたり、何年も洗っていないような服をきて呪詛のような言葉をつぶやき続けるお婆さんもいる。そして、その脇で中国人が大声で電話をしていたりする。
こんな光景は、僕の住んでいる地域では見られない。それぞれが、それぞれの人生の物語を持っている。そんな光景をみると、少しだけ哀しいような、何とも言えない気分になってくる。等しく生を受けたことだけが共通点で、それ以外は全く異なっている。どのような人生を歩んできたを如実に物語っているのが、今の自分の姿なのだ。そういう意味で、突き付けられた現実を見ると、何ともやりきれないような気分になる時が往々にしてある。
彼女の家に向かっていたある日のことだ。
彼女の家の最寄りの駅まで到着し、そこから家まで歩いてゆく。
比較的交通量が多い場所で、行き交う人々もまぁまぁ多い。スーパーのレジ袋を重たそうに持つ女性。ランニングをしている初老の男性。そして、ガソリンスタンドから聞こえる威勢のいい声。全く普通の日常だ。暖かい日の光に包まれた、ちょっと気怠い午後の日だ。
いつものように、彼女の家に行く前に近くのスーパーでミネラルウォーターとハイボールを買い、彼女の家に向かう。家に着いたら、まず掃除をしなきゃな。そんなことを考えながら歩いていると、僕は違和感を感じた。
一体この違和感は何なのだろう。空気が張りつめたような緊張感が少し漂っていた。おかしい、全くいつもの日常だ。周りを見渡しても皆普通にしている。僕だけがこの世界から切り取られてしまったのだろうか。そんな不安な気持ちになる。
一歩一歩進むごとに体にまとわりついてくる緊張感。僕は、その気持ち悪さから解放されるべく、五感を研ぎ澄ませ、その原因を探った。少なくとも原因が分かれば対策は立てられる。こう見えて、人生という荒波を不器用ながら乗り越えてきたのだ。この場合、原因を探すことが最優先だ。神経を研ぎ澄ませろ・・・!!アムロ・レイのように・・・!!
ん?これは、なんだ?はっ・・・!シャアか!?
微かに感じる違和感、それは音だった。
いや、これは音楽だ。そうか、この場所に似通わない音楽が流れているんだ。
「AKB48・・・・?フライングゲット・・・か?」
シャアでは無かったが、その音楽の正体がはっきりしてきた。段々音楽のボリュームが大きくなってくる。
何なのだ。一体、何が起こっているんだ。そんな音楽がかかってくるなんて予想外だ。今の気持ちとしては「燃え上れガンダム」が聞こえてきてほしい。
そう思いながら前方を見ると、それまで行き交っていた人々が、まるで「モーセの十戒」のシーンを思い出させるかのように二手にきれいに分かれた。
その中心から何かが近づいてくる。
僕は絶句した。
白のハイヒールを履き、黒のニーソックスを身に着け、さらに短パンを履き、上半身に直にデニムのジャケットを身に着けていた、筋骨隆々なおっさんが歩いてきた。その肌の色は日サロに行ってるかのような黒色で、サングラスをかけ、肩にステレオを乗せていた。ジャマイカ人もビックリである。古代ギリシア人もびっくりなほど筋骨隆々である。
そしてそのステレオから流れてくる曲が「フライングゲット」。
フライングすぎるだろ。いや、そんな概念すら約に立たない。皆が準備体操をしている間に一人ゴールをして、喜んでいる。そんな前のめりなスタイルのおっさんが堂々と歩いてきているのだ。
これは現実なのだろうか?
正に、黒王号に乗ったラオウの如く威風堂々としている姿に、僕は道を空けざるを得なかった。ラオウ様、お靴が汚れております!!さぁー、さぁー!!なんて言う勇気は持ち合わせていなかった。
一体何のために、そのおっさんがそういう格好をしているかは誰にもわからない。いや、分からなくていいのかもしれない。意味の無いことを、堂々とやってのけるその姿に、僕はおっさんだけの世界を見たような気がした。
誰にも比べられない。自分だけの世界。
おっさんは、この大都市東京の中で、自分の世界を持ち続ける術を手に入れていたのだ。誰もおっさんと自分を比べようとは思わないだろう。おっさんも誰とも比べようともしていない。比べること自体が不毛な行為であるからだ。
吹っ切れた人は強い。僕の脊髄に電流が走った。 その世界を垣間見た時に、少々の憧憬があったことは否めない。
お前も、いつか俺みたいに自分の世界を持てよ。なぁ、ブラザー。お前ならきっとやれるさ、いいな?
そのおっさんの背中からは、そんな声が聞こえてくるような気がした。
そうしておっさんの背中を見送っていると、警察が現れ、おっさんは職質を受け、あんなに大音量で流していたステレオの音を全力で絞り、サングラスを取って謝罪していた。地に頭がつくんじゃねーかってぐらい謝罪していた。国家権力にはただただ弱いおさんだった。
しかしその甲斐空しく、警察にどこかに連れていかれてしまった。
自分の世界を持つこと。
それは、ある意味両刃の剣なのかもしれない。
あそこまで謝るなら、普通の恰好すればいいのに。