パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

近況と、「文章を書く」行為を通じて発見した自分

こんばんは、岸野です。

 

今回はいつもとは趣向を変えまして、近況報告という形で記事を書きたいと思います。と言いますのは、先週か先々週を機に、あれほどせっせと毎日のように続いていた記事の更新がぱたりと止んでしまい、疑問に思う方も数人はいるかと思ったので、今回久しぶりに近況記事を書こうと思いました。

 

まず、僕自身の体調が優れなかったことが記事を更新できなかった大きな理由です。

 

先々週のことでしょうか。僕は、毎日のように夢を見るようになりました。今年の始めから睡眠導入剤の使用を始めて以来、夢を見ることが多くなってはいたのですが、それは割とぼんやりした夢で、起きてもはっきりとは思い出せない、あるいは、登場人物ぐらいしか思い出せない程度の夢でした。

 

しかし、先々週の間見ていた夢は、それまでの夢とは違い、恐ろしいほど鮮明に朝起きた時の僕の脳裏に焼き付いているような夢でした。内容はどうであれ、そのような夢を見てしまうと、一日中頭がぼんやりとしていて、活動をすることが難しくなってしまいます。食事などの最低限の生命維持の活動はしていましたが。

 

そして、その夢の鮮明さが僕を苦しめていました。何かこう書くと厨二病のような気がして、何となく気が引けるのですが、実際にはそうなのです。あまりにも夢が鮮明であると、今自分がいる場所は夢の中なのか、現実なのか本当に分からなくなります。そうなると、寝ている時でも脳は休んでいないことになるらしく、一日中ぼんやりすることになりました。

 

更に、追い打ちをかけるように、身体の節々、主に下半身の節々がギシギシと痛むようになりました。これは、睡眠不足が原因なのだと思います。恐らく僕の睡眠時間は、一般の方と比べると非常に多いとは思いますが、途切れ途切れの眠りなので、身体と脳が休まる暇が無かったのだと思います。

 

そんな訳で、僕のゴールデンウィークはいささか悪いものになってしまいました。

 

しかし、夢と現実の区別がつかなくなる体験というのは本当に不思議なものだったし、貴重なものでした。それは、睡眠という儀式を境に世界を跨ぐようなそんな感じでした。僕の意識は意識のままでずっと存在し続け、周りの環境だけが劇的に変化するのです。こんなことは今まで経験をしたことが無かったので、今思えばものすごく貴重な経験をしたと思っています。

 

また、身体的な苦痛は精神にも苦痛をもたらします。

 

このような状況が続いてしまうと、さすがに精神的に参ってしまうので、医者に相談し、深く眠れる薬を睡眠導入剤とは別に処方してもらいました。

 

その薬を飲み、次の朝を迎えた時の感動は、衝撃的でした。青天の霹靂という言葉がありますが、このような状況を表す言葉として用いたいぐらい、衝撃的でした。

 

深く眠れるということが、こんなにも素晴らしいことなのか。夢を見ないということは、こんなにも精神的な落ち着きを与えてくれるのか。朝起きて、カーテンを開けた時に差し込む光の清々しさを久しぶりに感じたような、そんな気持ちになりました。

 

その薬のおかげで、眠りをコントロール出来るようになったので、今は割と色んな事が再び出来るようになりました。ですので、今は精神的にはかなり落ち着いています。若干気になるのは、その薬のせいで、午前中をほぼ眠ったまま過ごさなければならないことです。しかし、それは身体が睡眠を求めているのだと解釈し、身体が求めるままにしています。

 

これが、体調の面での近況です。

 

 

次に、僕が記事を更新できなかった、あるいはしなかった原因として挙げられることは、自分の文章を繰り返しずっと見返していた、ということです。

 

これは先週のことです。

 

僕は今年の1月から文章を書き続け、このブログの記事も60記事を越えました。このブログを始めるにあたって、自分はどういうことを発信したいのか、また、どんな目的でブログを運営するのか、自分なりに考えてブログを始めました。

 

僕がパニック障害になったことで、自分が病気について調べたことや自分自身の体験を発信し、同じ病気で悩んでいる人と共有することが最初の理念でした。そして、今後の人生の中で、外に働きに行けなくなることのリスクを考慮して、このブログを運営することで、マネタイズの勉強をし、ゆくゆくは広告で利益を得られたらいいと思っていました。

 

だからこそ、書き始めたばかりの頃の記事は情報発信型の記事が多かったです。そして、まとめサイト的な手法を用いて文章を書き、読みやすくかつ、共感を拡げたいと思っていました。PV数はかなり気にしていましたし、読者数にもこだわっていました。

 

しかし、そのような文章を書き続けていると気付いたことがありました。それは、「別に自分が発信しなくても、他の誰かが同じことを発信している」ということです。そしてもう一つ、グーグルの検索で上位にくる記事のほとんどがSEO対策にしか目がいっていないような、記事ばかりだということです。

 

広告収入というものは、自分の運営するブログにいかに来てもらうか、がまず重要になってきます。そのための方法論はインターネット上に溢れていまして、方法論が更なる方法論を呼んでいるという有様を呈しています。

 

 

方法論というものは人を惹きつけます。

 

何故なら、未来を見通すことは誰にも出来ないからです。それならば、先に成功している人と同じ道を歩んだ方が手っ取り早くて、確実なのです。それはちょうど、自分の全く知らない土地に行って、お腹が空いたときに、吉野家に行ってしまうのと同じです。

 

 

結局僕は何が言いたいのでしょうか。

 

僕が広告収入を得たいのであれば、SEO対策を徹底的に行った文章を書き、毎日のように読者数を獲得するために動く必要があります。そして、いつの間にかこのブログで実現したいことの優先順位が変わってしまうのです。

 

確かに、広告収入を得たいとは思いましたが、僕は、やっぱりそれよりも発信がしたかったのです。そして、どうせ発信するなら自分が読んで面白いと思うモノを発信したかったのです。発信したいと思うモノは、SEO対策をして書くような文章とは真逆のモノでした。それは、1000円で吉野家の牛丼を2,3杯食べるよりは、1000円で少しいい肉を少量買って自宅で牛丼を作って食べたい、そのようなことです。

 

 

インターネットで拾ってきた本当かどうかも分からない情報をまとめ上げて、自分の記事として発信することが、僕にとっては価値がないということに気付きました。そして、そういう文章は単純に読んでいて面白くないのです。「人生をやり直す5つの視点」なんてよく書けるなぁと感心してしまいます。幾分かの皮肉を込めて。最後にいかがでしたか?なんて言われても、正直どうでもいいのです。

 

僕は、面白い文章を書きたいと思うように途中からなり始めました。出来ている出来ていないは別として。自分が面白いと思うような文章は書いていて楽しいし、文章をひねり出す行為が僕にとっては面白いものでした。

 

そして、記事を書いていく中で何かしらの賞に応募したいと思うようになり、自分の記事を割と厳しい目で見返したのです。

 

 

その作業が先週行われていました。

 

 

文章とは不思議です。記事を挙げた時には最高だと思っていても、後から読み返すとその記事は目も当てられないようなことが多くありました。書き直して、次の日にまた見返すと、また直したくなってきます。

 

その作業は幾分かの苦痛を伴いますが、楽しいものでした。子供を育てるという感覚に近いのでしょうか。僕には子供がいないので分からないのですが。

 

そのようにして、今まで書いた自分の文章を見返してみると、自分が主張したいと思うことはほとんどないということに気付きました。そして、自分でも驚くことですが、最初に掲げた理念というものが、ほとんど自分の記事の中に残っていないことが分かったのです。

 

正確に言えば、自分の主張したいと思うことは2つ3つというところでしょうか。つまり、同じ主張をあれこれと場面を変えたり、レトリックを用いたりして、繰り返しているに過ぎないのだと気付きました。その繰り返される主張は、決して僕が意図して出したものではありません。それは帰納法的に発見されたものです。

 

それに気付いたとき、何もむやみやたらと毎日記事を更新しなくても良いというところに僕の気持ちは落ち着きました。毎日書き続けていくと、確実に自分の中の何か、欲のようなものがすり減っていきます。やはり、書きたいときに書くことが一番なのかもしれません。眠りたいときに眠ることが一番良いのと同じです。見る人によっては甘えであると見なされるかもしれませんが。

 

まずは「書きたい」と思う気持ちを最も大切にしなければならない。僕の欲を擦り減らすことが一番良くないと思ったのです。どうやらその欲は、こんこんと湧き出るような泉のようなものではなく、岩の隙間から流れ落ちるような水を、透明なコップに溜めるようなものみたいです。

 

恐らく、一人の人間が主張したいと心から願うモノはごく僅かなのです。そして、主張したいと躍起にならなくても、ある程度の慣れがあれば自然に出てくるモノなのではないでしょうか。 

 

 

このような訳で、記事の更新に間が空いたのです。そして、これからも多少の違いはあれど間は空くと思います。

 

しかし、記事を更新しなくても僕は何かしらの形で毎日文章を書いています。それはお見せできるようなものでは無いので、記事としては挙げないだけです。

 

 

以上、長々と綴ってきましたが、こんなわけで、最近僕の内的なものに変化が色々訪れました。

 

今回は久しぶりに近況という形で文章を書いてみましたが、これはこれで書いていて気持ちがいいし、自分という人間の確認作業にもなります。

 

 

頻繁な更新は無くなるかと思いますが、ブログ自身は気長に続けていくので、これからもよろしくお願いします。

気の済むまで歩けばいい

僕は蓮根の皮を剥いていた。

 

蓮根の皮を包丁で剥くことは、意外と厄介な作業だ。少し手も痛くなる。無駄な力が入っているのだろう。

 

その痛みと共に、僕はふと思った。

 

 

僕は歩くようになったな、と。

 

 

もしかしたら、パニック障害を患ったことがきっかけでよく歩くようになったのかもしれない。

  

歩くことは元々嫌いではなかったが、例えば駅前に用事がある時なんかは、自転車で行ったりしていた。時間的なことを考えるともちろん、自転車の方が徒歩よりも早く目的地に着くことが出来る。そしてなるべく早く用事を終わらせ、自分の時間をなるべく多く確保しようとしていた。僕は、圧倒的なインドア派なので、家にいることが好きなのだ。

 

ところが、パニック障害になってからというもの、特に用事が無ければ外に出なくてもいい時間が、以前に比べて圧倒的に増えた。パニック障害になったばかりの頃は、外に出ることが出来ないほど衰弱していた。しかし、病気が少しずつ落ち着いてくると、今度は家の中にばかりいると、逆に衰弱していくような気がしてならないのだ。特に精神面において。

 

フィジカルな面において、衰弱していくことは疑いようがない事実である。当然のことながら、人間の身体は動かないと鈍っていく。太るというよりも、体のあちこちが動かなくなっていくのだ。機械と全く同じである。動かさないままでいた機械を、急に動かそうとすれば、大体の確率でその機械は壊れる。だから、長く動かさないままでいた機械に必要なことは、点検であり、油差しであり、試運転だ。これらのことは、そのまま人間にも当てはまる。鈍った体に必要なのは、点検であり、油差しであり、試運転なのだ。

 

僕は、朝起きた後と、夜寝る前に必ず身体の点検をする。そして、痛みを感じている部分があれば、そこをケアする。まぁ、大抵はどこかが痛い。今は圧倒的に腰が痛い。座っている時間が以前に比べて増えたからだ。そして、その点検とケアが済めば、特に用事が無くても、気が向いたときに1時間から2時間は歩くようにしている。自転車にはほとんど乗らなくなった。

 

 

僕にとっては、外に出る瞬間が、一日のうちで最も気持ちの良い瞬間だ。どんなに曇っていても、そして、激しすぎない程の雨が降っていても、最も気持ちが良い。家の玄関を開けて僕の目に飛び込んでくる世界は、全ての明かりを消した部屋よりも明るいのだから。玄関の電気を消す瞬間から、扉を開ける瞬間までの時間が、とてももどかしく感じてしまうのは、僕だけなのだろうか。

 

 

そして、外に出て空気を肺いっぱいに吸い込む。身体にまとわりつくような湿度の高い日でも、部屋の空気よりは全然ましなのだ。いや、むしろ、その一般的には不快であろう空気でも、肺いっぱいに吸い込みたいのだ。そして、僕は外に出ていけるのだということを身体全体で思い切り受け止め、そして感じる。これは、病気にならなければわからない感覚だと思う。

 

夜の空気だって同じだ。部屋の暗さと、夜の暗さは全く異なる。部屋の暗さは停止しているのに対して、夜の暗さは進んでいるのだ。だから、夜の暗さの方が好きだ。夜の世界と、昼の世界は全くの別物である。僕が部屋にいる間に、僕の部屋だけがいつの間にか違う世界へ移動してしまったような、そんな感じに近い。

 

 

歩くと、それに連動して、思考がドライブしていく。

 

 

僕は、歩くことによって色々な発見をする。外に出る時、一切音楽を聴かなくなった。何となくもったいない気がしてきたのだ。一昔前は、ipodが無ければ生きていけないとさえ思っていたのに。周囲をよく観察したり、自分の内面に目を向けることには、音楽を聴くという行為はどうも適していないらしい。

 

 

周りを見渡すと面白いことが毎日のように起こっている。

 

 

思えば、僕たち人間は全てのモノを頭に入れて解釈するわけでは決してない。ある程度の情報を頭に入れて、そこに適しているであろうモノを勝手に予測していることが多い。細かい部分を割と見落としたりしているのだ。例えば、会話でこういうことが起こる。一字一句に集中すると、それだけで人間の脳は疲れてしまう。脳は省エネを好むので、ある程度のロジックが組み上がれば、自動的に話の内容を推測する。だから、似ている漢字があったら間違える人が多い。よくよく集中して、話を聞いたり、周りを見渡すと面白いものに気付くことができる。

 

つい先日のことなのだが、近所の花屋にそれはそれは立派な剃り込みが入った、金ブレスの似合うおっさんが花屋でバラを眺めていた。これは極端な例であるが、こういった類のことは、日常で頻繁に起きているのである。でも、別にこのおっさんが花屋にいても何も問題は無いのだ。どちらかと言えば、それを面白いと感じてしまう僕のモノの見方が変なのかもしれない。

 

 

 

そして、それこそが、非日常の扉が現れるきっかけなのである。

 

 

そして、ドライブする思考はやがて内側に向いていく。

 

 

主に外界で起こったことを起点として、ああでもない、こうでもないと考えをこねくり回すのだ。僕にとって、その作業は一つの救いになっているような気がする。なぜなら、停滞していた自分の思考をドライブさせると、心が軽くなるからだ。心が軽くなれば、部屋の中でも落ち着くことが出来る。

 

 

 

 

雨上がりの夜は必ずと言っていいほど、外を歩く。それも深夜の時間帯に。

 

 

僕の住んでいるところは、いわゆるベッドタウンと呼ばれる街だ。深夜になると、街全体が寝静まる。そうすると、小さな音が耳に入ってくるようになる。木の葉に付着した雫が地面に落ちる音。遠くから聞こえる水量が増えた川の流れる音。そして、たまに通る車が残す飛沫の残響音。どれも、僕にとっては心地の良いものだ。

 

雨上がりの夜の匂いは、緑の匂いを運んでくれる。そして、雫は街灯を反射し、様々な色に木々を装飾する。風が吹くと、多くの雫が地面に落ち、様々な音と、ほんのわずかの飛沫をあげる。こんな風にして、雨上がりの夜の世界は、不思議なほどぼんやりしている世界なのだ。視覚的にも、聴覚的にも、嗅覚的にも。

 

 

この「ぼんやりさ」が、僕にとっては癒しになっているのかもしれない。

 

 

以前は何でもかんでも、決裁を急ぎ過ぎていたような気がする。白黒はっきりさせることが絶対的なことのような気がして、中途半端はダメであると決めつけていたような気がする。その中途半端さが、どの角度から見たモノなのかを考えもせずに。

 

 

 

 

そして、夜の世界は思考をさらにドライブさせてくれる。

 

 

恐らく、これは視覚的なことが原因になっているんじゃないかと思う。夜は、特に雨上がりの夜は、昼に比べて視界が圧倒的に悪い。そうすると、周りのモノに注意がいかなくなる。すると、自然と自分の内側に注意がいくようになり、思考のスピードが昼に比べて速くなるのだ。また、思考がドライブすればするほど頭が火照ってくるので、それを冷ますという意味でも、夜はうってつけのような気がする。

 

 

 

そして、歩くことに満足した僕は、夜の世界から、自分の部屋へと戻る。真っ暗な自分の部屋に入り、灯りを点ける瞬間が好きだ。もちろん白熱灯じゃなければダメだ。僕は一人暮らしだが、灯りを点けると、何か暖かいものに迎えられているような気がする。まるで、子供の頃家に帰れば、母親が「おかえり」と言ってくれたように。不思議なものだ。あんなに重かった部屋内の空気が、夜の世界から帰ると親しみを感じてしまうのだから。

 

 

 

歩くことには、喜びが満ちていると思う。

 

 

 

でも、もし僕が病気にかからなかったら、このことには気付かなかっただろう 。逆に、もしかしたら、僕は病気のせいで頭が少し変になっているのかもしれない。

 

 

でも、それはそれでいいと思う。

 

 

なぜなら、僕は今、自分が気持ちいいと思うモノ、追求したいと思うモノに素直になれていると感じているからだ。

 

早く社会復帰が出来れば、これに越したことはない。でも、僕は歩くことによって思考をドライブさせ、自分の気持ちに素直に従うということが、どれほど素晴らしいことかを、学ばせてもらっている気がする。

 

 

 

だから、今しばらくは焦らないで、歩くぐらいの速度で生きたいと思う。

 

僕には蓮根の皮だって、満足のいくスピードで剥けないのだから。

夢はほろ苦ビター味

夢を見るということには、人生の大事なものが詰まっている。

 

 

今、夢や目標を持たない若者が増えているという世論がある。若さというものは最大の財産だ。だから、若いうちにチャレンジしないなんてもったいない。失敗は若いうちなら取り返せる。挑戦をしないことが最大の失敗だ。

 

なんて、偉そうに言う人がたくさんいる。そのくせ、僕たちはミスをしないように徹底的に叩き込まれる。その偉そうに言う人達から。そして僕たちは幼いころから、全ての人が夢を達成出来るわけではないと悟る。そして、やりたいことがあっても自分に言い聞かせるのだ。やめろ、お前には無理だ。やったところで時間の無駄だ、と。

 

 

その一方で、目標を持てない人の気持ちもわかる。そもそも何故、人間は成長しなければならないのか。成長という言葉はかなりファジーな言葉だ。ポジティブではあるが、いまいち掴みどころのない言葉である。

 

 

成長した先に、どんな自分が待っているのか。

 

 

これこそが大切だと思うのだ。

 

 

例えば、サッカー選手になりたい子供がいるとする。この子供がサッカー選手になるために、空手を習い、100人組み手を達成したとしよう。確かに、精神面、及び筋力という面では立派に成長を成し遂げている。しかし、サッカー選手としての資質を磨かれたかどうかは甚だ疑問である。サッカーのゴールキーパーになりたくて、崖の上から落ちてくる岩を素手で砕いても、サッカーには一切関係ないのと同じように。

 

つまり、なりたい自分と今自分がやっていることがマッチした時に、成長が待っているのであり、そして、確実に一歩ずつ夢に近づいていると言えるのではないだろうか。

 

そして、夢に前進すると必ずと言っていいほど障壁が待ち受けている。それは、自分の能力の限界かもしれないし、自分の周囲を取り巻く環境が障壁になる場合もある。

 

ここが一番の正念場で、これを乗り越えられるかどうかがその後の展開に大きく作用する。才能という言葉があるが、もしかしたら、こういった障壁をブレイクスルーする能力のことを指すのかもしれない。

 

 

そして、残念な話ではあるが、全ての人が自分の夢を達成させられるわけではない。

 

 

多くの人が躓き、理想と現実の間で葛藤する。そして、いつしかその世界から去って行ってしまうのだ。

 

 

かくいう僕もその一人だ。

 

 

僕はミュージシャンをやっていた。始めたころは周りに同年代の仲間がたくさんいたのだけれど、一人また一人と減っていった。励まし合っていた仲間が減っていくというのは、結構辛いことだ。でも、それも仕方のないことなのだ。自分で志願して始めたこととは言え、毎日が不安との闘いだからだ。でも、みんな見えない敵と全身全霊で戦っていた。だから、辞めていく人のことは決してバカには出来ない。

 

そして、僕も割と大きなステージには立てるようになったとはいえ、今現在はミュージシャンを辞めているのだから、躓いたうちの一人なのだ。

 

しかし、この躓きは決して無駄なものではないはずだ。成長するために、夢に一歩でも近づくために費やした努力は必ず、後に活かされる。躓けば、そこから学べばいいのである。確かにミュージシャンになるために、毎日していた練習は、今では全く役に立たないのかもしれない。しかし、この躓きこそが糧となるのだ。空手で100人組み手を達成した子供は、後にサッカーの日本代表のゴールキーパーとなった。そして、その後空手をやっていたから攻めの気質は十分にある、とかいう理由でフォワードにコンバートされた。この物語は完全なフィクションである。

 

 

話しを戻そう。一体何故成功しなかったのかということを突き詰めて考えて、同じ轍を踏まぬように備えれば良い。そう、これこそが夢を見て努力をした人にしか持ちえない能力なのだ。

 

 

これは、本気の努力をした人でなければ決して出来ない作業である。

 

 

同じ失敗を繰り返したくはないのだ。

 

 

だからこそ、振り絞りに絞って頭を使い、人間は一回りも二回りも成長してゆく。

 

 

 

 

つい先日のことだ。僕のスマホに一通のメールが届いた。

 

 

「麗子と申します。率直に申し上げるのですが、私を一晩抱いてくれないでしょうか?旦那とは歳が離れており、セックスレス状態です。抱いてくれましたら、お礼として1000万差し上げます。33の女がこんなことを頼んでいるのですから。そして、前金としてあと2000万差し上げます。旦那は会社の経営者であり、特にお金には困っていないのです。連絡お待ちしております。  気になった方は、下をクリック☆」

 

 

明らかに詐欺メールである。僕もいい歳だ。こんな詐欺メールには引っ掛かりはしない。たとえ、クリックした先にどんなにセクシーな美熟女が写っていたとしても。鼻で笑い、僕はこのメールを削除する。今どきこんなメールに引っかかる奴なんているのかね、なんて思いながら。

 

しかし、なぜこんなメールを詐欺だと断じれるようになったのか。もしかしたら本当にセックスレスの美熟女がいて、本当に旦那が会社の経営者で金が余っているのかもしれない。そして、分かる人には分かると思うが、性欲というのは自分の身を焼き焦がす程の作用を持っている。だから、3000万円差し上げてでもセックスがしたい。かなり貴重なケースだと思うが、もしかしたら数人は存在しているのかもしれない。

 

ただ、どう考えても「下をクリック☆」が解せない。この言葉について考えるとしたら、ニーチェを持ち出さないと解決しそうにないので、ここは放っておこう。まぁ、この言葉が詐欺と判断する大きな材料なんだけれども。なんだよ、クリック☆って。

 

考えてみよう、なぜこんなメールが作られているのか。単純な話だ。引っかかる人がいるからである。「下手な鉄砲数打てば当たる」の格言通りで、メールを送る費用対効果を考えて、良い結果が出ているのだから送られているのである。

 

 

 

でも、この詐欺に引っかかる人達を僕は決して見下すことは出来ない。

 

 

 

なぜなら、彼らは夢を真剣に追ったからだ。恐らく誰だって最初はこんな美味い話がある訳がないと、考える。でも、僅か数パーセントでも自分の心の中に、そのメールを信じていいという気持ちがあるのならば、そこから葛藤が始まる。もしかしたら、本当にそういう困った美熟女がいるのかもしれない。日本の人口を考えれば、いなくは無さそうだ。これは、俺に巡って来たチャンスなのかもしれない。そうだ、何を迷っているんだ。挑戦しないことの方が罪ではないか。俺は、やらずに後悔するならやって後悔したい。

 

 

きっと、こんな気持ちになっているに違いない。

 

 

一体だれが、彼らを見下すことが出来ようか。彼らは只々純粋なのだ。純粋に自分の夢を追ったのだ。だから、彼らを見下す奴は、この僕の目が黒いうちは絶対に許さない。

 

 

 

あれは、僕が20歳の時である。 

 

 

僕は大学に通う普通の童貞だった。「ヤラハタ」という言葉が今でもあるのかどうかわからないが、当時は20歳になっても童貞を捨てられなかったら烙印を押されてしまう、そんな血も涙も無いような雰囲気があった。

 

今でこそSNSというツールが当たり前のように存在しているが、当時は掲示板とmixiがネットでのコミュニケーションツールであった。mixiも招待性であったので、必然的にリアル世界での友達とネットでもやり取りをすることが多くなる。そんな時代だった。

 

20歳の童貞にとって、性の問題、もっとぶっちゃけて言うとセックスの問題は死活問題とも言っていいものである。来る日も来る日もエロ本を見ては、妄想に明け暮れる。そして、表面上ではセックスなぞ興味が無いといい子ちゃんぶっていた。心の中には欲望の渦が唸りをあげているのにも関わらず。

 

 

そして、ある日のことだ。僕のケータイに一通のメールが届く。 

 

 

「麗子と申します。率直に申し上げるのですが、私を一晩抱いてくれないでしょうか?旦那とは歳が離れており、セックスレス状態です。抱いてくれましたら、お礼として1000万差し上げます。33の女がこんなことを頼んでいるのですから。そして、前金としてあと2000万差し上げます。旦那は会社の経営者であり、特にお金には困っていないのです。連絡お待ちしております。  気になった方は、下をクリック☆」

 

 

僕は天地がひっくり返るほど驚いた。世の中にはこんな女性もいるのかと。そして、お金ももらえて、年上のお姉さんとセックスが出来るなんて、なんてすごいチャンスが巡って来たのかと。あぁ、これもきっと日頃立派な行いをしてきたからだな。そういえば、昨日歩いているおばあちゃんに「頑張れ・・・!」って心の中で思ったもんな。

 

 

僕は詐欺だと一切疑うことなく、信じてしまった。先ほども言ったが、誰も僕は責められない。僕は、夢に向かって猛烈に前進したのだ。

 

 

そして、メールに張り付けられているURLをクリックすると、もの凄い美女がセクシーな格好で写っていた。もうこれは、信じること確定である。その麗子さんと連絡を取るために、僕はサイトの指示に素直に従って、麗子さんへと辿り着くための道を進んでいった。まるで、名も無き勇者がドラゴンに囚われている王女を救うために、天の声に従っているかのように。

 

 

なんとかして麗子さんと連絡が取れるようになった。しかし、気づくと僕はよく分からない出会い系サイトの中にいて、麗子さんと連絡を取るためだけにポイントを要求された。

 

 

これは、よくある手なのである。最初は無料ポイントを付与して、相手の女性と連絡を取ることでポイントを消費させる。そして会える寸前に上手いことポイントが足りなくなるように設定しているのだ。そして、更に女性と連絡を取り合うには、ポイントを購入しなければならないのである。もちろん、ポイントを購入し続け女性と待ち合わせの約束をしても、女性が実際に来ることは無い。詐欺系サイトの常とう手段である。

 

 

「こんにちは、メール見ました。僕で良ければ相手してくれませんか?」

 

 

「連絡ありがとうございます。麗子と申します。連絡して頂けたということは、私の相手をして下さるってことでいいですよね?」

 

 

もう、僕の心臓はバクバクである。僕の心臓は暴れ馬だ。ポルシェだ。ついに麗子さんと連絡を取り合うことに成功したのだ。ポイントがもの凄い勢いで減っていくため、早いところ打ち合わせを終えなければならない。

 

 

「もちろん大丈夫です!待ち合わせはどこがいいですか?」

 

 

「私が車で行くので大丈夫です、場所を教えてくれませんか?」

 

 

なんということだ。ラッキーは続くものである。お金を貰えて、セックスが出来て、おまけに送迎のオプション付きだ。気分はまさに帝王である。

 

 

「えっと、国分寺駅で待ち合わせでどうでしょうか?どんな車に乗っていますか?」

 

 

「赤の軽自動車に乗って行きます。」

 

 

軽自動車。こいつには参った。最高にクールだ。お金持ちなのに軽自動車とは。相当倹約家であるに違いない。なんて良い女性なんだ。僕の頭のネジは一つどころか五つぐらい外れていた。

 

 

「分かりました!僕は黒のパーカーを着て、赤いキャップを被っていきます。」

 

 

「それにしても、本当に私でいいんですか?」

 

 

「全然大丈夫です!それより、何時ごろ待ち合わせますか?」

 

 

「私、自分に自信が無いもので・・・。」

 

 

ここで、ポイントが切れた。おいおい、なんていい女なんだ。金持でありながら、謙虚な姿勢を貫いている。これは必ずモノにしなければならない。

 

 

僕は、コンビニまで走った。人生で最も速く走ったかもしれない。呂布赤兎馬も驚くほどに。

 

 

5000円ほど入金し、会話を再開させる。

 

 

「すいません、ポイント購入して遅れました<m(__)m>麗子さんは魅力的なので大丈夫ですよ!それより時間はどうしますか?」

 

 

「そう言って頂けると助かります。」

 

 

こんなやりとりを繰り返して、結局またポイント切れになった。またコンビニへと走る。疾きこと風の如し、だ。

 

 

何回かやり取りしているうちに、30分後に駅前で会う約束を取り付けた。消費した金額は、当時の僕からすれば大金だった。でも、大丈夫。僕はきちんと損をしないように考えている。何故なら、僕は3000万受け取るのだから。結局前金という話は無くなって、一括支払いになったのだけれど。そんな些細なことはどうだってよかった。

 

 

 

心の動きは、世界の見え方と連動している。昨日まであんなに重たかった空気が、軽やかな希望に満ちた空気になる。油の匂いが漂ってくる居酒屋の前は、芳醇なワインが提供されている隠れ家的な酒屋の前になる。そして、耳を塞ぎたくなるほどうるさい人々の話し声は、軽やかなメロディーとなって僕の耳を包み込む。

 

今、僕の世界は変わったのだ。そして、今日という日を境に僕の明日はもっと軽快で、もっと希望の香りに満ちたものになるだろう。そう確信していた。

 

 

 

 

駅前で麗子さんの軽自動車をしばらく待った。

 

 

 

 

そして僕は、自宅へと戻る。拳を握りしめながら。

 

 

 

 

僕の明日は、やはり今日に続いている明日だった。外の空気は相変わらず重たかった。そして、軽やかなメロディーのように聞こえた人々の話し声は、やはり耳を塞ぐほどうるさいものだった。

 

 

 

家に戻った僕は、覚えたての煙草に火を点け、初めて煙草の味を知った。そして、覚えたてのビールを飲み、初めてビールの味を知った。

 

 

煙草とは、こんなにも苦いものなんだな。ビールとは、こんなにも苦いものなんだな。

 

 

 

なんて、旨いんだ。

――――――――――――

 

 

 

誰も、彼のことは責められない。もし、今の僕がタイムマシンに乗れたら、すぐに20歳の僕のところに行って、これ以上ない優しさで抱きしめてあげたい。

 

君はよく頑張った。君の経験のおかげで、今の僕は少なくとも詐欺には引っかからないでいる。君の勇気に、そして夢に感謝したい。君を嘲笑うものがいたら、僕は全力を持ってその相手を叩き潰そう。

 

 

 

夢とは、時に苦いものだ。

 

 

 

でも、僕は信じている。

 

 

 

その苦さの積み重ねこそが、人生なのだ。

ある日の煙草とエゴ

「なんていうかさ、周りを見るとエゴだらけだよな。この世界って。」

 

 

友人のK君はそう言った。僕が大学に通っていた時の、ある日のことだ。

 

 

「すっからかんの頭を懸命に振って出てきた知識をひけらかすだけひけらかして、自分はいかに勉強しているかを見せることが大好物な奴が大勢いる。そのくせ奴らは群れることが大好きなんだ。ハイエナのようにね。きっと不安になるんだろうな。自分は何一つ本物と言えるものを持っていないからさ。」

 

 

K君は皮肉たっぷりに言い放った。でも、そんな彼の表情は少し憂鬱そうだった。

 

「俺だってエゴの塊のような人間だよ。俺もあいつらと同じだと思うと吐き気がするね。だから、俺は自分の時間を誰よりも価値的に使って、決して群れないように努力しているんだ。」

 

K君は大学時代に、風俗・エロゲーパチスロと人間の欲望の産物の極みとも言える娯楽に真剣に取り組んでいた。まるで、居合切りをする侍のように。でも、彼は自身の哲学というモノを持っていたし、少なくとも彼と話していて退屈だということは無かった。

 

「よく見てみろよ、ゆーすけ。このエロゲー、感動しないか?涙なしには見られない作品じゃないか。」

 

K君は目の前にあるパソコンを指さす。K君はエロゲーのことになると熱くなる。まるで、クラシック音楽の素晴らしさを熱心に語るかのように。

 

 「エロゲーをバカに出来ないよ。そりゃあ駄作もあるさ。抜ければ良いという作品もある。何せ資本主義だからね。あらゆる欲望に応える義務があるのさ。でも、良作は俺に問いかけてくるんだ。お前にとって生きるとはなんぞや、ってね。」

 

 K君はここまで話すと煙草に火を点けた。そして一息に煙を吸い込み一気に吐き出す。辺り一面が靄で包まれた。僕も煙草に火を点ける。

 

 「まぁ、確かに君のいう事も分かるよ。映画でも本でも、哲学を持った作品が良作とされるからね。」

 

 「なぁ、ゆーすけ。俺は、娯楽向けの文化を否定するつもりなどない。ただね、俺は意味のあることだけに身を晒していたいんだ。」

 

 「でも、君にとっての意味のあることは他の人にとって意味の無いことかもしれないよ。絶対的に意味のあるものなんてあるのかな?」

 

 僕が疑問を問いかけると、K君は黙り込んだ。頭の中で適切な言葉を探しているのだろう。言葉を間違えれば、自分の考えを誤って捉えられてしまう。歯車は狂わすわけにはいかない。出だしが肝心なのだ。そうでなければ、最後は取り返しがつかなくなることだってある。

 

 

長い沈黙が続いた。

 

 

K君の持っている煙草の灰が床に落ちる。煙は一条の道筋となって天井に昇っていく。テーブルの上には飲みかけのビールとワイン。それから、食べかけのチーズが散在していて、溢れんばかりの吸い殻が入っている灰皿がある。ワインの瓶の口からは甘ったるい匂いが漂ってきて、チーズのすえた匂い、煙草の匂いと混ざり合う。キッチンには洗いかけの皿が積み上げられ、コンロの上にはいつ作られたのか分からない味噌汁の鍋が置いてある。それらの匂いが混ざり合って、僕の鼻孔を通り脳を刺激する。

 

間違いなく、ここは一つの生活が存在している場所だ。文化やら、哲学を語るのにはうってつけの場所だ。いつでもその匂いを頼りに、空想から帰ってこられるから。

 

 

K君はなおも口を開こうとしない。

 

 

目の前にあるパソコンの中で、同じ場面が繰り返し流れている。K君が称賛してやまないエロゲーのオープニング画面だ。この空間を支配している沈黙に不釣り合いなほど明るく画面の中の少女は歌っている。この少女にとってはこちらの世界で起きていることは無関係なのだ。

 

 

「人と比べる事って意味があることなのか?」

 

 

唐突にK君は口を開いた。

 

 

「意味があるかどうかって誰が決めるんだ?絵の中で磔にされている人か?それとも、沙羅双樹の木の下で静かに微笑む人か?なるほど。大多数の人にとっては意味のあることを、彼らは決めたのかもしれないな。」

 

 K君は二本目の煙草に火を点けた。今度はゆっくりと煙を吸い込み、同じ速度で吐き出した。まるで、自分を落ち着かせるように。

 

 「彼らは素晴らしい人物なのだろう。それは疑いようもない事実だろうね。でも、彼らが見た世界が俺の見た世界と一緒だという保証はどこにあるんだ?彼らは俺たちみたいに、学食で安いカレーを食べて、あくびを噛み殺しながら講義を受けているのか?違うだろう。世界はその人だけのものだ。あくまでね。」

 

 「あのカレーには、僕も参ってしまうな。ビーフなんて名前がついているけど、ちっとも肉なんて入っていないんだものな。でも、パサパサのパンよりはましな気がするけどね。」

 

 「ゆーすけもそう思うだろう。俺もそう思う。カレーの方がましさ。そして俺の世界ではカレーの方が、パンよりも価値がある。結局、意味があるかどうか決めるのは――」

 

 K君は突然言葉を切り上げた。言葉は引きちぎられ、重要な部分を失った言葉は当てもなく空間をフラフラ漂うことになった。そしてK君は、いかにも残念そうな、そして皮肉めいた笑みを浮かべた。僕にはその表情がよく見えた。そして、K君の表情の意味も分かった。

 

 

K君は自分で認めてしまったのだ。

 

 

結局、意味を決めるのは自分自身であり、それこそがエゴの正体であると。そして自分は、自分が揶揄した人間たちと何も変わらないということを。

  

相変わらずパソコンの画面の中では、変わることなく少女が歌っている。きっとこの少女は僕たちが死んで、僕たちの子供が死んでも歌い続けるのだろう。僕は煙草を吸う。この煙草は5分後には消えて無くなっているんだろうな。そんなことを思っていた。

 

K君は煙草を持った片方の手のひらで器用に顔を覆っていた。K君は全く動こうとはしない。まるで彫像のように。そして火の点いた煙草がジリジリと短くなってゆく。

 

僕たちは、こうして何本の煙草を無駄にしたのだろうか。煙草だって、こんな風に吸われないまま使い捨てられていくのは不本意なことだと思っているに違いない。しかし、仕方が無いのだ。いくら不本意だと思っても、意思表示が出来なければ何も解決しない。当たり前のことなのだが、煙草には口が無い。そう思えば、意思表示が出来る口を持つぼくたちはいくらかマシのように思えた。

 

 

「ゆーすけ、駅前に行かないか?」

 

「いいね。善は急げだ。」

 

K君が着替えている間、僕は外で待っていた。すっかり日が落ち、辺りには静寂が漂っていた。僕は煙草に火を点け、煙を吸い込む。誰かが山で吸う煙草は美味いと言っていた。空気が美味いから。でも、煙草は煙草だ。美味いと思ったことは無い。K君の部屋で吸う煙草も、外で吸う煙草も同じ味だ。だから、きっと富士山の上で吸っても同じ味なのだろう。

 

「お待たせ、さぁ後ろに乗れよ。キャデラックのリムジンだぜ。」

 

僕はヘルメットを被り、バイクに乗る。僕はバイクが好きだ。バイクはスリルに満ちていた。もし道を曲がる時に手を離したら、バイクから投げ出され大怪我を負うか、最悪の場合死んでしまうことになるのだろう。ジェットコースターに乗ってスリルを味わいたいのなら、バイクに乗ればいいのだ。なぜか僕はジェットコースターは苦手なのだが。

 

15分ほどで駅前に着き、駐車場にバイクを停める。

 

駅前の繁華街は活気で満ちていた。昼間とは違う種類の活気だ。幾分か妖しさを含んでいて、危険な匂いが微かに漂よっている。

 

金髪でスーツ姿のキャッチが盛んに声を張り上げている。ラフな格好をした中国人の女性が、しきりにマッサージに誘いかける。酔っぱらったサラリーマンの団体が道の真ん中で騒いでいた。まるで、自分たちが世界で一番偉いのだと主張するかのように。

 

「いいよな。この辺は。何となく安心するよな。」

 

K君と僕はコンビニでビールを買い、それを飲みながら人の動きを見ていた。それは、僕たちにとってささやかな楽しみでもあった。

 

「何がいいって、欲望丸出しの人間を見られるからだよな。なぁ、ゆーすけ、あいつらを見てみろよ。きっと昼はガラス張りのオフィスで働いていて、PDCAだの難しい言葉を使いながらビジネスしてるんだろうな。でも、ここでは欲望丸出しだ。酒を好きなだけ飲んで、キャバクラに行って、その後は抜かれるのさ。素直な世界だよ、ここは。本当にさ。」

 

人々は僕らの前をただ通り過ぎていく。この人たちにとって、僕たちはその辺に落ちている煙草の吸殻と変わらない。僕たちがただ口を閉じてさえいれば。

 

「やっぱり安心するよ、本当に。みんな欲望の塊じゃないか。そしてそれを隠す必要がここでは無い。ここには誰も知っている奴はいないけれど、今この時はみんな仲間のような気がするな。そして、ああ、おれは孤独じゃないんだ、って思えるよ。」

 

そうなのだ、僕たちは不安だったのだ。僕たちはエゴ丸出しの人間だ。昼に大学で出会う人間たちは、僕たちとは全然違ってエゴなんか持っていないのかもしれない。おかしいのは僕たちなのかもしれない。そんな不安に襲われる時があった。でも、この場所にいると、みんな同じなんだと安心出来る。一人一人が大きなエゴの塊を持って生きているのだと。

 

僕たちはとりとめのない会話をする。夜に行き交う人々を見ながら。そこに自分自身を投影しながら。

 

 

「じゃ、俺はそろそろ行くわ。」

 

「いつものところに行くんだね?」

 

「あぁ。俺を待っている人がいるからな。じゃあ、ゆーすけ、また明日学校でな。」

 

そう言い残しK君は繁華街のネオンの中へ消えていった。K君の姿はすぐに他の人たちと混じり、判別が出来なくなった。こういった夜を過ごした後、彼は必ず風俗へ行って、お気に入りの子を指名する。そして、内に溜まっているものを吐き出すのだ。

 

僕は電車に乗り、持っていた本を開いた。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」。あのゲーテだって悩んでいるのだから、僕たちだって悩んでいいのだ。若者が持つある特有の満ち溢れるエネルギーは、いつの時代も人を悩ましていたに違いない。

 

適切な処置をしなければ、そのエネルギーはやり場を失って暴走する。そして、そのまま僕たちの身体を蝕んでいく。僕たちは優秀な医者であり、同時に優秀な患者でなければならない。

 

そんなことを思いながら歩き、僕は自宅へと帰った。身体にまとわりついた匂いを落とすためシャワーを浴び、すぐにベッドに潜り込む。今日は煙草を吸い過ぎた。やがて意識が薄れていく。

 

翌日、僕はいつもの通り大学へ行く。

 

周りを見渡すと、昨日K君が言っていたような人間が多いとは思った。でも、どんなにエゴを憎んだところで、僕も同じ一緒くたな人間なのだ。

 

それでも、僕はやはり意味のあることをしたいと思い続けていた気がする。K君のように。

 

 

いつもの喫煙所でK君と出会う。

 

K君は溌剌としていた。K君は思考の海に深く潜ってもすぐに帰ってくることが出来る、類まれなる人物だ。そこがK君の魅力の一つである。

 

「おう、ゆーすけ。昨日は実にハッピーな夜を過ごしたな。」

 

この調子である。きっと、思い切り溜まっていたものを吐き出したに違いない。

 

 「今日は新しいエロゲーの発売日でな。俺はすぐに行かなければならないんだよ。という訳で、じゃな。」

 

 K君は忙しない様子で煙草をもみ消し、走り出していった。K君の残した煙草の火は完全には消えておらず、灰皿の中で燻っていた。まるで、僕たちの不満を表しているかのように。

 

燻っていても煙草は煙草だ。そこに疑いの余地はない。そして、燻っていても僕たちは僕たちなのだ。何も変わることなく日々は続いていく。

  

僕は一人残り、煙をゆっくりと吸い、そして吐き出した。煙は雲一つ無い青空へ吸い込まれていった。煙は、すぐに他の空気と混ざり合い、やがて同化した。煙は、自分が煙であると頑なには主張しなかった。

 

そして、僕は自分の煙草を丁寧にもみ消し、次の講義が行われる教室へと歩いて行った。

 

 

こうして僕たちは、今日も生きてゆく。

百聞は一見に如かず

夜の就寝前は、僕にとって楽しみな時間だ。

 

 

湯船に浸かった後で、身体の緊張がほぐれている。髪を乾かし、歯を磨く。そしてジャージに着替え、少し心の中でお祈りをする。心を整えるために。静謐さに溢れた空間の中で、文字通り身も心も最も奇麗になる時間が就寝前なのだ。

 

そして僕は電気を消し、白熱灯のスタンドライトだけ付ける。すると、別の空間に飛ばされたような感覚に陥る。その中で僕は明日に備えて、身体の点検を始める。どこか不調なところがあれば、重点的にストレッチをしたり、トレーニングを始めるのだ。

 

静かな部屋だ。しかし、ストレッチをしたりトレーニングをする時は何かを聞いていたい気分になる。自分の身体のスイッチが動く側に入ると、それに伴って、空間にも変化が欲しくなる、そんなところなのだろうか。

 

 

こんな文章の始まりをすれば、きっとストレッチやトレーニングをする際に聞いているのはショパンか、フランツ・リストが似つかわしい気がする。しかし、残念なことに僕が聞いているのはダウンタウントークなのだ。何を聞いたっていいじゃないか。

 

正直、何回も何回も聞いているので話の流れや落ちなどは全て頭の中に入ってしまっている。特に目新しい発見も無いが、やはり松本人志の発想と、落ちをしっかりとつける力には感嘆させられる。「放送室」という松本人志高須光聖が、かつてやっていたラジオもよく聞いていたのだが、やはりフリートークが一番完成度が高い気がする。

 

文章を書いている時によく感じるのだが、落ちをつけることは本当に難しい。いくら話を膨らましても、落ちがついていない文章はやはり読んでいて楽しくない。と言っても、僕も落ちをつけられているかどうかなんて分からないけれど。

 

僕が一番好きなコーナーは、寄せられた葉書に書いてある質問に、松本人志が即興で答えていくというものだ。この葉書もセンスが光っている。そして、松本人志はその葉書の設定に自分を設定し、ボケて答えていく。

 

 

ストレッチをしながら、ダウンタウンのフリートークを聞いていた。そして松本人志にこんな葉書が寄せられる。

 

ハーレーダビットソンに似合う男の条件はなんですか?」

 

これに対して松本人志は、まず消去法で考えていく。つまり、ハーレーダビットソンに似合わないものを上げてそれを削ぎ落していくことで、似合う男の条件を浮き彫りにしていくというのだ。

 

こう書くといかにも頭が良い感じがするが、そこはやはり松本人志である、ボケまくっていくのだ。

 

 

「いいですか?メガネが似合わないものってなんだと思いますか?それはメガネをかけている人なんですよ。赤いポルシェに一番似合わないのは赤い人なんですよ!」

 

 

つまり、同じ性質のものを掛け合わせてしまうと似合わないということを主張している。この発想は、本当にすごいと思う。前から用意していたんじゃないのかってぐらい洗練されている。

 

もちろん、これはボケだ。だから実際にメガネをかけて更にその上からメガネをかけている人なんていないだろうし、赤いポルシェに乗る人間の皮膚の色が赤であるということもありえない。全ては空想の産物なのだが、それを想像すると笑えてくるのだ。実際には相当合わないに違いない。僕は普段メガネをかけているので、試しにメガネの上にメガネをかけたら、本当に似合わなかった。百聞は一見に如かずというが、やってみると一目瞭然で分かる。

 

 

そんなトークを聞きながら、身体を伸ばし、少し締め上げていく。そしてトークを切り、寝間着に着替え本格的に就寝の準備をする。

 

 

僕は、ベッドの上ではいつも本を読んでいる。今読んでいるのはヘルマンヘッセの「デミアン」だ。ヘルマンヘッセの表現は美しさに溢れている。特に、牧歌的な情景を書かせたら、頭の中に一瞬でその風景が浮かび上がってくる。ヘルマンヘッセの描く世界は、少し紗がかかっているような光を帯びている気がする。たとえ、その内容が救いようもないほど絶望的だとしても。

 

そして、僕はやがて眠りに落ちていく。落ちていくというのは表現として正しい。海の底へと落ちていく感じがする。

 

 

気が付くと、僕は実家にいた。実家には母がいて、妹がいて、父がいた。どうやら、母は生き返ったらしい。母は何事も無かったかのように料理をし、妹は雑誌に熱中し、父はテレビを見ていた。ここは僕の避難場所だった。ここには、なごやかな輝き、明らかさが所属していた。そして、この世界には未来につながる真っ直ぐな線と道が存在していた。理由のない安心感があり、そして僕はこの世界にとても馴染んでいた。でも、一つだけ馴染めないものがある。この世界には声がないのだ。どんなに話そうとしても声は届かないし、母や妹や父の声も僕には届かなかった。

 

 

再び気が付くといつものベッドの上にいた。僕はもう何回もこの夢を見ていた。そして、現実の世界へ戻ってきたことに少しため息をつく。

 

まだ半分目覚めていない身体を起こし、カーテンを開ける。今日はあまり天気がよくない。空気は湿っぽくて空はくすんだ色をしていた。それでも一晩明かした室内よりはいくらか明るく見えた。僕は、この現実に根を張って生きなければならない。

 

コーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。そしてコーヒーをカップに注ぐと香りが部屋中に充満し、その黒い液体も美味そうに見えるのだから不思議なものである。そういえば、このコーヒーに一番合わないものは黒砂糖だな。そんなことを思いながら、ブラックコーヒーをすすった。

 

 

そしてまた、朝は朝で身体の点検をする。そして、痛みがあればその部分をマッサージしたり、ストレッチで筋肉を伸ばしていく。身体に不調が無ければ、心の不調も軽くなる。それに、身体を伸ばせば気持ちがいいように、心も伸びていくようなそんな気がするのだ。伸びた心は、ある程度の弾力を持つようになって寛容になれるのかもしれない。

 

 

そしてその後、僕は外に出かける。晴れだろうが雨だろうが、天気は関係ない。僕は自分の中身を入れ替えるために外に出かける。簡単に言えば気分転換だ。一日中部屋にいることは出来ない。かといって、一日中外出することもできない。何とも不便な身体ではあるが、周りを歩くのには適している身体とも言える。

 

外は予想通り湿っぽい空気で満たされていた。空を見上げると一面に雲が広がっていた。晴れている時の雲は白く、曇りの時の雲は灰色だ。天気が悪いことが嫌いな人も多いとは思うが、この色にも原因はあると思う。何となく灰色は重たい色だ。まだ黒色の方が軽い気がする。だって、ミッキーマウスだって、本当はグレーの生物なのに黒く塗られているのだから。

 

それでも、心は部屋にいる時よりは多少晴れる。不思議だ。やはり同じ空間に居続けると自分の中の空気は淀んでいくのだろうか。それに耐えることは少し難しそうだ。なるほど。拘置所のに留置されると、罪を犯していないのに白状する人の気持ちが少しわかるような気がする。

 

 

そして、近くのスーパーに足を運ぶ。食材を購入しなくては。たまには、パスタでも茹でよう。理由も無くそう思った。

 

スーパーに足を踏み入れた瞬間のことだ。

 

 

ここの空間は何かおかしい。

 

 

僕は咄嗟にそう思った。何とは説明が出来ないが、何か普通ではないものがこの空間に潜んでいる。そんな違和感をこの空間は抱えている気がした。まるで、心霊スポットに足を踏み入れてしまった時のように。

 

周りを見渡しても、普通の人々が普通に買い物をしている。子供連れの母親がカートを押しながら野菜を選んでいる。たまたま出会ったご近所さん同士が会話をしている。ごくごくありふれた、ごくごく普通のスーパーの中だ。

 

だけど、何かがおかしい。何かが、この空間には、いる。僕はその原因を探ろうと集中し始める。段々人の声が遠くなる。そして、それに伴って視界がクリアになる。一体何なんだ。一体どこにいるんだ。僕がおかしくなってしまったのか、ちくしょう。

 

 

 

ん・・・?これは・・・?

 

 

 

野菜コーナーにその違和感の根源があるようだ。

 

 

もう少し近づいてみよう。

 

 

 

あぁ!!!!こ、これは・・・・!!!!!

 

 

 

テンガロンハットを二重に被っているおっさんがいるではないか!

 

 

 

そうか!これが、僕の感じていた違和感の正体だったのだ!

 

テンガロンハットを二重に被っている人はまずいない。メガネを二重にかける人はいないように。

 

少し昔のファッションで、バンダナを頭に巻いてその上に帽子を被るというものがあった。被り物に被り物をするという斬新なファッションだった。しかし、それは性質が異なるもの同士だったから成り立つものであり、テンガロンハットを二重に被るのとは訳が違う。

 

こんなにも似合わないものなのか。テンガロンハットを二重に被ると。

 

ここで僕の集中力は途切れ、周りの声も耳に入ってくるようになった。いつものスーパーの店内が戻ってきたのである。日常が戻ってきても、テンガロンハットを二重に被ったおっさんはそこにいた。どう見てもおかしい気がする。いや、美の感覚は人によって違う。おっさんはそれをカッコいい思ってやっているのかもしれない。

 

 

もう僕を取り巻いている違和感は消え去っていた。スーパーで買い物を済ませ、再びくすんだ空が広がる外へと足を進めていく。

 

 

 

同じ性質のものを掛け合わせてしまうと似合わない。

 

 

 

もしかしたら、松本人志は実際に見たのかもしれない。今日の僕のように。

 

 

 

だから、一見ふざけているようなトークでも、説得力を持って僕たちに迫ってくるのかもしれない。

 

 

 

実際に見た印象は、焼き印のごとく確実に僕らの脳内に刻まれるのだから。

石ころのような非日常

心療内科の待合室は水を打ったように静かだ。

 

 

聞こえてくるのは受付の女性同士の話し声と、コピー機が作動する音だけだ。

 

 

個人病院の待合室は大抵静かなものであるが、心療内科の静けさは少し趣が違っているような気がする。それもそのはずだ。ここにいる患者は何かしら心の病気を抱えているのだから。お互いがお互いに干渉せず、何となく自分の殻に閉じこもっているような人が多い気がする。

 

僕もそんな患者の一人である。基本的には自分の領域にそう易々とは入ってきて欲しくないとは思っている。

 

 

この前の受診の日は、爽やかな南風が街を吹き抜け、初夏を思わせるような暖かさに満ちた日であった。こんな日はどこかのテラスでアイスコーヒーでも飲みながら、友人と心ゆくまで語り合いたいものである。しかし、僕が向かう先はビルの中にある心療内科で、語り合う相手は医者だ。もちろん、アイスコーヒーなんて注文できない。人生は上手くいかないものだ。

 

院内は静かだ。患者数もその日はそんなに多くはなかった。皆思い思いに待ち時間を潰していた。知らない人同士が話していることは滅多にない。ここはそういう場所である。だから、大抵は静かだ。

 

そんな時の出来事である。

 

 

「あらあらあら、はいはいはい、どうもこんにちは!お母さん、診察券は持ってきたの?ほら、そのカバンのポケットに入ってないかしら?」

 

 

女性の大きな声が院内に響き渡った。その場にいた全員の視線がその女性に集まる。僕もその女性に目を向けた。どうやら親子が一緒に来院したらしい。診察を受ける方は母親で、娘さんが付き添いというところだろう。どちらも、歳をとっていた。

 

 

「あ、ここが空いてるわね。ほら、お母さん。こっちへおいでなさい。」

 

 

おいでなさい、って初めて聞いたな。それにしてもやたらと声のトーンが大きい。母娘共々耳が遠いのだろうか。しかし、受け答えをする母親の声の大きさは普通だった。娘さんの声が異常に大きいのだ。おいでなさい、って初めて聞いたな。そう思わざるを得なかった。

 

 

「いやー、今日は暑いわね、ねぇお母さん。そう言えばテレビでやっていたんだけど、ボケ防止にはトマトを一日一個食べると良いって言っていたわよ。ねぇ、お母さん。それにしても暑いわね、今日は。でも、今の季節って結構トマト高いわよね。やだわー、あたしもボケ防止しないとダメかしら、アッハッハ。」

 

 

喋りまくりである。受付の女性も患者対応をしつつ、チラチラとその娘さんに視線を向けていた。ここでの日常は静寂なのだ。非日常的なことが起こると、人は動揺し、その原因となるものを警戒し始める。まるで、ライオンを警戒するインパラのように。きっと、この受付の女性もそんな気持ちだったに違いない。

 

 

「あ、そういえば、さっき教えたスカーフの巻き方は覚えた?もう一回教えてあげるわよ。ここをこうして・・・、こうして・・・、こう。ほら!良い感じじゃない!すごく奇麗よお母さん!本当に奇麗!じゃあ、自分で出来る?さぁ、やってごらんなさい。」

 

 

ごらんなさい、って初めて聞いたな。娘さんは立ち上がり、母親にスカーフの巻き方をレクチャーし始めた。何度も母親の正面に立ち、見栄えを確認して褒める。受付の女性は、もうその娘さんの言動にくぎ付けになっていた。患者対応をしても、目線は全くブレなかった。次は一体何をこの女はしでかすのか。そんな緊張感が漂っている。しかし、ごらんなさい、って初めて聞いたな。僕はそんなことを思っていた。

 

しかし、声こそ大きいが、見ようによっては幾つになっても変わらない微笑ましい母娘の会話にも見える。いくら歳を重ねても、親子という関係は変わらない。娘さんは、病気にかかっている母親のことを本当に大事に想っているのだろう。心の病気にかかるというのは大変なことだ。じゃあ、自分が少しでも明るく振舞ってお母さんを元気づけてあげよう。そんな気持ちだったのかもしれない。

 

ああ、この娘さんは何て親想いなのだろう。声こそ少し大きいが、その振る舞いに感動を覚えた。そして、自分にはもう想うべき母親が存在していないということを思うと、少し寂しい気持ちになった。親が生きているうちは、少しでも優しくした方がいいと思う。大抵の場合は。それにしても、ごらんなさい、って初めて聞いたな。僕はそんなことを思った。

 

 

やがて僕は診察室に案内され、いつも通りの診察を受けまた待合室に戻った。しかし、もうその母娘の会話は終わっていた。娘さんも待合室にあった雑誌に視線を落としていた。待合室はいつもの静けさを取り戻していた。そして、受付の女性も安心したかのように患者対応に集中し始めていた。この空間は、日常をその手に取り戻したのである。

 

僕は、会計を済ませ、処方箋を受け取り、同じビル内にある薬局に向かう。薬局は病院と比べると賑やかだ。そこは待合室兼、簡単な診察室にもなっているのだから。薬局には科目は存在しない。心療内科にかかっている以外の人も当然やってくる。だから、心療内科特有の空気の重たさとか、その重たさを打ち消すために無理をして作られた明るさなどは存在しないのだ。言わば、ナチュラルな状態なのである。

  

僕は薬を受け取るために待っていた。そして持ってきた本に視線を落とす。今日はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を持ってきていた。サリンジャーの表現技法は天才的だ。僕は、内容云々よりもそこが気に入っていた。しかし、頭になかなか本の内容が入ってこなかった。その時僕の心とらえていたのは「ごらんなさい」だった。僕を病院でつかまえたのは「ごらんなさい」だったのだ。

 

何となく少し皮肉めいた笑いを自分に対して向けた。そんなつもりで僕はこの本を持って来たんじゃないのにな。全く、あの母娘にはしてやられたな。でも、周りを気にせず母親を想う気持ちは本物だったな。それにしても、ごらんなさい、って初めて聞いたな。僕はそんなことを思っていた。

 

やがて僕の名前が呼ばれ、いつも通りのやり取りが薬剤師と行われる。内容は何回行っても全く変わらない。誰が担当で入ろうとも全く変わらない。かなり形式的なものだ。きっと、僕が死んでも、この形式的なものは存在し続けるんだろうな、と思った。

 

会計を済ませ、帰りの準備を整える。

 

 

「すいませーん!」

 

 

あの娘さんの声が薬局内でも響き渡った。まぁ、予想はしていたのだが薬局でも鉢合わせることになった。大抵の患者は、病院から一番近い薬局に行くので、病院で出会った患者と薬局でも出会う確率はかなり高いのだ。

 

 

「あ、お母さんここ空いてるわよ。さぁ、こっちへおいでなさい。」 

 

 

おいでなさい、って初めて聞いたな。あれ、これさっきも思ったっけか。僕は、何となくそんなことを思いながら帰り支度を終えて、席を立ち上がろうとした。

 

 

その瞬間である。 

 

 

「お母さん、そのスカーフやっぱり奇麗ね。もう一回よく見せて。ん・・・?あら・・・?お母さん、頭汚いわよ!!うわ、汚い!!本当に頭洗ってるの?この白いのなんなの?!うわー、やだ!本当に汚い!!」

 

 

衝撃の発言であった。

 

 

その一つ一つの言葉は僕の頭を見事に打ち抜いた。そして、薬局内にいる人間全員の頭も打ちぬいた。時が止まった。誰もが最初に動き出そうとはしなかった。いや、動けなかったのだ。上述したように、人は非日常的なことに遭遇すると、全力で警戒モードに入る。これは、人間の動物としての本能なのだろう。そうなると、下手に動けない。何故なら、次の行動によっては自分の命が失われるかもしれないからだ。

  

誰もが自分の耳を疑い、誰もが次に来るであろう衝撃に身を備えた。まるで、飛行機が墜落すると告げられた乗客ように。

 

どれくらいの時間が経っただろうか。いや、今この空間においては時間という概念は存在していないのかもしれない。勿論、傍から見れば一瞬の出来事だろう。でも、僕たちにとっては永遠とも思えるような時間が経ったように思えたのだ。なるほど、時間という概念は、個々人の感覚に依存するのかもしれない。

 

 

非日常というのは、その辺に転がっている石ころのように、どこにでも存在するものなのかもしれない。そして、その辺で口を開けて、僕たちを待ち構えているのだ。

  

やがて、氷が解けたように人々は動き始めた。僕も動き出し、薬局の扉を開け外に出た。そこはもう普通の世界だった。僕は帰って来たのだ。日常の世界に。

 

 

ビルの外に出ると 心地よい南風が吹いていた。そして、まだ懸命に咲いていた桜が、南風に乗って花びらとなって舞っていた。まるで、僕の帰りを祝福してくれているようだった。

 

 

 

きっとあの母親の頭にはこの花びらがついていたのかもしれないな。

 

 

 

いや、真実を追求するのはもうやめよう。僕は日常の世界に帰って来たのだから。

夜の世界でブルースを

太陽が沈み、辺り一面が闇に包まれると世界が一変するような気がする。

 

 

いや、気がするだけではなく本当に変わるのだ。

 

 

もちろん、モノ自体の状況はなんらも変わらない。昼と同じく道路は存在し続けるし、お気に入りのカフェだって夜に存在し続ける。入れ物は変わらず、その中身が変化するだけなのだ。その入れ物は、まるで透明な空き瓶のようだ。そこに入る中身はなんだっていい。ただ、中身の傾向性が変わるだけなのだ。そして、その色も変化していく。

 

朝規則正しく目を覚ます街もあれば、夜に目を覚ます街もある。はたまた、眠らない街も存在するのかもしれない。

 

だが眠らない街というのは、あまり無いような気がする。例えばその代表例は新宿であるが、新宿だって街が眠る時間は存在する。電車の始発が動く約1時間前から、新宿は突然静かになる。まるで、小さな子供が騒いでいて突然眠り始めるかのように。

 

考えてみれば、街が眠ったり起きたりするのは当然のことなのだ。なぜなら、その街を造ったのが他ならぬ人間自身なのだから。ずっと起きていられる人間はいない。ナポレオンだって、一日のうちで数時間は眠る。

 

 

僕は昔から夜の世界が好きだった。今、病気になってからは夜が怖くなってしまったけれど。

 

 

僕は昔ミュージシャンをやっていた。ミュージシャンの出勤時間は遅い。大体夕方辺りから仕事が始まる。そして仕事が終わるのが早くて日付が変わる直前で、遅くて朝まで仕事がかかる時もある。この場合は、趣味なんだか仕事なんだかよく分からなくなっていて、その境界線が溶けてしまった時に帰りは朝になる。

 

夕方からリハーサルに入り、夜に本番だ。リハーサルから本番までは割と時間があるので、気分転換に外を歩くことも出来る。今でこそかなりマシになってきたが、少し前のライブハウスの匂いはひどいものだった。煙草のヤニが壁やアンプにこびりつき、アルコールの匂いが床から漂ってくる。狭い楽屋の冷蔵庫の中には、朽ちかかっているチーズが残っていて汚臭を放っていた。ここにずっといると、退廃してしまうような気がした。だから、外に出て呼吸をすることが必要だったのだ。少なくとも僕にとっては。

 

 

夕方から夜にかけて、街の雰囲気は変わっていく。夜に起きる街だったら、やっと目を覚ます時間だし、あまり眠らない街であれば、その入れ物の中身を変えている最中なのだ。段々灯り始めるネオン、増え始める威勢のいい呼び込みの声、派手なドレスを着た若い女性。どれもこれも、昼には見られない光景だ。

 

この時間帯の街は、まだ健全だと言える。ここに集まる人々は何かの快楽を見つけるために、心に溜め込んでいるものを吐き出すために集まる。快楽を提供したり、その受け口になるのが夜に仕事をする人間の務めだ。多少の嫌なことはあるにせよ、みんなそれぞれが与えられた役割をこなす。そこは間違いなく普通の世界なのだ。

 

ただし、昼の世界の人間は豹変することが多い。誰もが自分の中に二つの世界を持っていて、夜になるともう一つの世界が目覚め始める。その街を訪れた者であれば。その街に住んでいる人間は、そんな豹変ぶりを受け入れなければならない。だって、ここはそういう世界なのだから。

 

 

 

しかし、本当に世界が変わるのは、僕の感覚では午前0時を過ぎてからだ。僕は、その頃ステージに上がっている。

 

 

午前0時を過ぎると、ステージを見に来る客層が一気に変わる。その街に住んでいる人間が、ステージを見に現われることが多かった。と言っても、ほとんどの客は電車に乗って帰っていくので、ライブハウスの中は閉店間際のデパートのように人が少ない。

 

恐らく、その時間から来る客で、本当に音楽が好きで僕のステージを見に来た人は少なかったと思う。大体の人がはつらつとした顔というより、どこか憂鬱そうな表情を浮かべながら、薄いアルコールを口にしている。そして、一人で席に座りながら、僕たちの演奏する古き良き時代の洋楽に耳を傾けているのだ。その時は、決してロックはやらない。大抵ブルースをやっている。ブルースは、深夜0時を過ぎてから聴くのに最も適した音楽であると思う。

 

演奏が終わっても、帰ろうとする人はあまりいない。朝まで飲みたい気分なのだろう。たまに付き合わされることもあった。その時は、僕も朝まで帰れない。

 

何故か付き合わされたのは女性ばかりだった。普通のOLなんていなかった。多くは風俗嬢、キャバ嬢、たまたま店を閉めていたスナックのママ、そして本当だかどうだか確認のしようもないがSMの女王様もいたことがある。

 

口数が多い人もいれば、少ない人もいた。そして大抵の場合、皆疲れていた。それもそうだろう。本当に疲れていたら、家になんて帰りたくないものだ。みんな孤独というものに疲れていたような気がする。

 

口数の少ない人に付き合わされるのは好きだった。言葉を選んで話してくれるので、頭の中で話を再構築をする必要が無いからだ。そして、本が好きな人が多いような気がする。良い悪いは全く別にして。

 

 

 

自称ではあったが、SMの女王様の話はとても面白かった。

 

 

 

「ねぇ、君さ。私達SMってSの方に支配権があると思っているでしょ?」

 

 

「実際そうなんじゃないんですか?だってお金を払って、適切な言葉が見つかりませんが、虐められに来るのでしょう?」

 

 

「大体の男はそうね。お金を払って、私たちに体を傷つけられて喜んでるわ。実際に、支配されることを望んでいない男性はいないわね。」

 

 

「だとしたら、支配権はいつだってあなたにあるわけじゃないですか。」

 

 

「ところがね。本当にたまにだけど、自分が支配しているのか分からなくなるお客さんもいるのよ。」

 

彼女は言葉を選びながら話しているように思えた。そして、細いメンソールの煙草に火をつけ、煙をゆっくり吸い込んだ。手に顎を乗せ、足を組み替える。彼女の表情は少し微笑んでいるような気がした。 

 

「そういうお客さんは、自分の意のままに私を操るの。自分がされたいように意のままに。それは希望を叶えてあげるとかそういうレベルじゃなくて、私もそうしたくなっちゃうの。」

 

 

「支配することに支配されている。」

 

 

「まさにそうとも言えるかもしれないわね。そこまで来たらどっちがSでどっちがMか分からなくなるの。そうすると、自分のアイデンティティの崩壊が始まるのよ。今までの自分に対する自信が揺らいでくるのよね。」

 

彼女はそこまで話すと、ゆっくり煙を吸い込み吐いた。まるで、自分の中身を入れ替えようとしているかのように。

 

「そういうお客さんが来たら、私はもうそのお客さんがいないとダメになるの。恐らく恋をしている、そういう状態なのかしら。実は今日、そういうお客さんが遠くに行くことになっちゃって、もう会えなくなっちゃうの。だから、少し落ち着く空間が必要だったのよね。こういう話、嫌いかしら?」

 

「いえ、とても新鮮です。」

 

「覚えておいてね。私たちも人間なの。夜に生き過ぎてしまうともう戻れなくなるけど、それでも人間なのよ。私の場合は、純粋な恋なんて言われないだろうけど、それでも私にとって、そのお客さんには純粋に恋をしていたように思うわ。」

 

彼女は、ぼんやりとした照明の中で、寂しそうに微笑んだ。一条の煙が天井へ流れていく。

 

「君はまだこちらの世界に来たばかりでしょう?覚えておいてね、ここに長くいるともう戻れなくなるわよ。一生ここで生きる覚悟が出来たら、そうすればいいわ。何だかお説教臭くなっちゃったけど、お話聞いてくれてありがとうね。また明日から仕事が頑張れそうな気がするわ。あなたも、頑張って人生を生きてね。」

 

 

 

それ以来彼女には会っていない。

 

全てを彼女の作り話だとすることも出来るけれど、何となく生々しくリアルに迫ってくるような話であった。

 

夜の世界には、色んな人間が存在する。どのような理由でその世界に足を踏み入れたのは分からない。意志を固めている人もいれば、流れに身を任せている人もいるだろう。

 

 

 

結局のところ、僕はミュージシャンの生活を6年ほど続けていた。その時間が長いかどうかは全く分からない。戻れているのかどうかもわからない。ただ確実に言えるのは、僕はパニック障害になってしまい、昼の世界への復帰に躓いてしまっているということだ。

 

 

でも、焦る必要はない。

 

 

人生はなるようにしかならないと思うし、今僕が求めているのは彼女が持っていたような、しなやかな強さを持つことだ。

 

 

 

そして、いつかまたあの街で0時を過ぎてからブルースを演りたいと思う。

それが彼女たちのわずかな癒しになるのであれば。