パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

産み落とされる哀しみ

空気が暖かくなると、街に人が多くなる。

 

特に、冬から春に移り変わる時、その傾向は顕著なような気がするのだ。まぁ、花粉症にかかっている日本人はかなり多いので、冬から引き続き家の中に引きこもる人も多いと思うが。

 

ただそれでも、冬の刺すような冷たい空気から、春のふわりとした暖かな空気に変わることで、同じ姿勢をずっと取っていて凝り固まった筋肉を解きほぐす時のように、段々と外へと動く人が多いように思えるのだ。

 

その一方で、日本を訪れている外国人観光客も最近は本当に増えてきた。中国人観光客のかつての勢いは衰えたものの、まだまだ外国人観光客はたくさんいる。特に上野とか浅草とかは、ここはもうチャイナタウンなんじゃねーか、ってぐらい、中国人がいる。

 

たまたま上野で入った洋服の青山とかで、中国人の従業員から中国語で話しかけられるなんてこともザラだ。その後、決まって謝られるのだけど、慌てたのか「お客様、大変申し訳ありません!不好意思!」なんて、最後に訳の分からない言葉が口から出てくる従業員もいる。

 

着物を売っている白人の女性がいたり、絵巻物を売っている黒人の男性がいたり。他の人種がなかなか見られなかった日本でも、最早外国人がいる光景は特に東京では普通になってきていると実感する。そういう僕もタイ人と付き合っているので、日本の国際化の流れは今後増々拡大していくように思えてならない。

 

日本を訪れる外国人は、日本の豊かな四季を味わおうとしたり、性能が良くて評判の電化製品を買ったり、みんなそれぞれ楽しんでいる。日本側もアピールに必死で、日本の四季をこぞってアピールし、どの季節に日本に訪れても見どころはたくさんあることを海外に訴える。僕の地元の長野県でもそうなのだが、本当に観光業に力を入れているなと感じる昨今だ。

 

しかしそうして日本を楽しんでいる外国人を見ると、僕には一つの光景がありありと思い出されるのだ。

 

 

 

あれは、中学の頃だっただろうか。

 

僕の出身は長野県だ。なので東京に比べたら当然田舎で、中学校は田んぼに囲まれたところにあった。そんな田舎感丸出しの中学校なのだが、実は長野県の中でも中学校としてはトップレベルの学校で、基本的には生徒は皆塾に通っていた。僕の記憶によれば、クラスで塾に行っていない子は一人もいなかった気がする。

 

塾は基本的には学校終わりに行くところなのだが、学校が終わる時間と塾の始まる時間の間がけっこう空いたりして、よく同じ塾の仲間と塾の前に遊んで時間を潰していた。僕の通っていた塾は、長野市の中でも繁華街に存在していて、東京で例えるなら歌舞伎町みたいなところに存在していた。すいません、嘘です、言い過ぎました。背伸びしても、八王子の繁華街には勝てません。

 

そんな少し寂びれた繁華街でも夕方ぐらいになると、チラホラとキャッチのお兄さんたちが気怠そうに出てきて、もう少し日が暮れると、これまた気怠そうにフィリピンだか中国だかの女性がどこかの店へと入っていく。出勤時間なのだろう。

 

中学生にとってはそこは結構怖い街であり、同時に刺激が強い街でもあった。後に東京に行った時に「長野って教育県だから、風俗なんてないんだろ?」なんて聞かれたけど、そんな情報は全くの嘘である。中学の僕にも分かっていた。大人のお店があるってことを。僕たちは親から、塾の時間以外ではあまり繁華街には近付かないように言われていたので、時間を潰す場所はいつも、繁華街から少し離れたところにあった寂れたボーリング場だった。ここはボーリングをしなくても大丈夫な飲食のスペースがあったので、大変重宝していた。

 

 

ある日のことだった。

 

その日は平日だったが、開校記念日かなんかで学校が休みだった。しかし、その日は塾があった。いつもなら学校から直接友達とボーリング場に行っていたのだが、この日は少し早めにボーリング場に到着してしまい、一人で友達を待つことになってしまったのだ。

 

みんなが到着するのを待つのもヒマだったので、何となく繁華街の方をぶらぶらしようと急に思いついた。時間帯的にも、まだネオンが光るような時間帯では無かったので、探検してみようと思ったのだ。いつもなら決して近づかないような場所に、しかも一人で行くのはちょっとした冒険のようで、胸がドキドキした。

 

しかし、ほとんどの店がシャッターを閉めていて、開いていたのはずっと安売りの札が貼ってある洋服店とか、くたびれたツタの植物を扱っている花屋とかそれだけだった。想像していたものと違う気がして、何となく少しがっかりした。もう少し危険な匂いがするものを期待していたのだ。冒険には危険がつきもので、後で友達に言い聞かせるような武勇伝の一つや二つ、こしらえたい気持ちでいっぱいだったのだ。

 

しかし、夜は多少の賑わいを見せているものの、明るい時間帯の繁華街は、まるで別世界のように静まりかえっていた。ここでは昼が夜になっていて、夜が昼になっているのだろう。

 

 

そろそろ暗くなってきたし戻ろう。

 

 

引き返すと、さっきまで閉まっていたシャッターが上げられていた店もあった。妖しい色のネオンが少しずつ灯り始めて、換気の為だか分からないけど、重厚そうな扉を開け放っている店もあった。その店からは長いこと放置されていたような布団のような匂いと、油のにおいが漂ってきて、その匂いは少なからず僕を不安な気持ちにさせた。

 

何となく不安な気持ちを抱えつつボーリング場に向かっていると

 

 

 

「また、お前は言う事を聞いてないのか!!!!!!」

 

 

 

もの凄い怒声が、僕の耳に届いた。心臓が飛び出るかと思った。

 

不安な気持ちよりも興味が打ち克ってしまい、何を血迷ったのか僕はそーっと、その声がしたであろう店の中を覗き込んだ。

 

すると、そこでは太ったおっさんに頬を平手打ちにされている女の子がいたのだ。あまりの光景に僕は固まってしまい、しばらくその場を動けなかった。すると、一人の年増の女性が大声で止めに入ってきた。その言葉は僕には理解できなかった。思い返せば中国語だったような気がする。

 

 

年増の女性に気を取られたおっさんの手を振りほどいて、女の子は店の入り口にいる僕の方に突進してきた。

 

 

やばい!!!!と思って、僕は即座に踵を返した。

 

 

そして、女の子はもの凄い勢いで扉から出てきて、僕のことを横目でチラッと見た。目が合ったのだ。燃えるような瞳をしていた。随分長い間目を合わせていたような気がするのだが、常識的に考えて、女の子は店から逃げるところだったと考えられるので、仮に目が合ったとしても一瞬だろう。

 

そして、女の子ははだしのままでどこかへ駆け去っていった。店の中からは相変わらず怒声が僕の耳に届いていた。

 

女の子の背丈は僕と同じぐらいだった気がする。何かこの世界の見てはいけないものを見てしまったような気がして、僕はもの凄く動揺した。

 

 

 

その後、ボーリング場で友人と合流したのだけれど、その時のことは一切話すことが出来なかった。塾の講義の間も僕は上の空で、夜も上手く眠ることが出来なかった。何となくその女の子の燃えるような瞳が頭に焼き付いてしまっていたのだ。

 

しかし、普通の学校生活を送っていくうちにその女の子のことを、心に上手くしまい込むことが出来るようになって、その繁華街にも全く近づかなくなった。もうあのような光景は目にしたくなかったのである。

 

 

 

東京に上京した後、長期休みの時は実家に帰ってたまにあの繁華街で飲むこともあったのだが、その時は決まってふとその女の子のことを思い出すようになっていた。大人になるにつれて、色々なことを僕たちは学ぶのだけれど、あの子はもしかしたら世に認識されていない子で、世間からは隔絶された世界で生きていたのかもしれない。ヘイハイツのように。ちなみに、その店はもう存在していない。

 

 

あれは、人生の哀しみが具現化された一つのシーンなのかもしれない。

 

 

僕の彼女はタイ人なので、タイのことをよく聞く。タイは観光業に力を入れていて、日本人もよく行く国として有名だ。また、タイは風俗産業が有名である。ゴーゴーバーなんて言葉、聞いたことある人も多いのではないだろうか?

 

日本の男は、本当によくタイの風俗に行くらしい。そしてそこでセックスをして、帰国するのだ。その時、その相手をした女の子が妊娠をしてしまうことが度々あるらしい。基本的にはコンドームを付けることになっているが、わがままな日本人は金にものを言わせて、付けない場合も多いのだそうだ。女の子もチップが欲しいからそれに従う。そして、望んでもいない子供が産まれてしまう。

 

その場合は女性の自業自得な面もあるのだが、悪質な場合は結婚を約束してセックスを満足するまで楽しみ、「必ず帰ってくるから」の言葉を残して、永遠に帰ってこない日本人もいるとのことだ。その帰ってこない夫を子供と一緒に待つタイの女性も存在する。

 

 

僕は別にフェミニストではないけれど、こういった話を聞くと何ともやりきれなくなる気持ちがある。

 

人が観光で楽しんでいる一方で、こうした現実も世界にはあるということは事実だ。あの日、僕と目が合った女の子も、もしかしたら望まれて産まれなかった子供なのかもしれない。しかし、それでも命があるから必死で生きていたのだ。今もどこかで生きていると信じたい。

 

 

海外から来る外国の人たちが増えているのを目にしたとき、そこで生じる笑顔の裏では、目を覆いたくなような哀しみも同時に産み落とされているのかもしれない、と僕はどうしても考えてしまう。

 

 

そういう現実を直視しなければ、世界の平和なんて永遠に訪れない気がするのは僕だけなのだろうか?

 

 

ありていに言えば、あの日の女の子の燃えるような瞳は、この悲しみを訴えていたような気がしてならない。あの日から長い時間が経ち、自分の記憶の中での女の子の瞳は、瞳の奥に哀しみも宿るようになっていた。