パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

近況と、「文章を書く」行為を通じて発見した自分

こんばんは、岸野です。

 

今回はいつもとは趣向を変えまして、近況報告という形で記事を書きたいと思います。と言いますのは、先週か先々週を機に、あれほどせっせと毎日のように続いていた記事の更新がぱたりと止んでしまい、疑問に思う方も数人はいるかと思ったので、今回久しぶりに近況記事を書こうと思いました。

 

まず、僕自身の体調が優れなかったことが記事を更新できなかった大きな理由です。

 

先々週のことでしょうか。僕は、毎日のように夢を見るようになりました。今年の始めから睡眠導入剤の使用を始めて以来、夢を見ることが多くなってはいたのですが、それは割とぼんやりした夢で、起きてもはっきりとは思い出せない、あるいは、登場人物ぐらいしか思い出せない程度の夢でした。

 

しかし、先々週の間見ていた夢は、それまでの夢とは違い、恐ろしいほど鮮明に朝起きた時の僕の脳裏に焼き付いているような夢でした。内容はどうであれ、そのような夢を見てしまうと、一日中頭がぼんやりとしていて、活動をすることが難しくなってしまいます。食事などの最低限の生命維持の活動はしていましたが。

 

そして、その夢の鮮明さが僕を苦しめていました。何かこう書くと厨二病のような気がして、何となく気が引けるのですが、実際にはそうなのです。あまりにも夢が鮮明であると、今自分がいる場所は夢の中なのか、現実なのか本当に分からなくなります。そうなると、寝ている時でも脳は休んでいないことになるらしく、一日中ぼんやりすることになりました。

 

更に、追い打ちをかけるように、身体の節々、主に下半身の節々がギシギシと痛むようになりました。これは、睡眠不足が原因なのだと思います。恐らく僕の睡眠時間は、一般の方と比べると非常に多いとは思いますが、途切れ途切れの眠りなので、身体と脳が休まる暇が無かったのだと思います。

 

そんな訳で、僕のゴールデンウィークはいささか悪いものになってしまいました。

 

しかし、夢と現実の区別がつかなくなる体験というのは本当に不思議なものだったし、貴重なものでした。それは、睡眠という儀式を境に世界を跨ぐようなそんな感じでした。僕の意識は意識のままでずっと存在し続け、周りの環境だけが劇的に変化するのです。こんなことは今まで経験をしたことが無かったので、今思えばものすごく貴重な経験をしたと思っています。

 

また、身体的な苦痛は精神にも苦痛をもたらします。

 

このような状況が続いてしまうと、さすがに精神的に参ってしまうので、医者に相談し、深く眠れる薬を睡眠導入剤とは別に処方してもらいました。

 

その薬を飲み、次の朝を迎えた時の感動は、衝撃的でした。青天の霹靂という言葉がありますが、このような状況を表す言葉として用いたいぐらい、衝撃的でした。

 

深く眠れるということが、こんなにも素晴らしいことなのか。夢を見ないということは、こんなにも精神的な落ち着きを与えてくれるのか。朝起きて、カーテンを開けた時に差し込む光の清々しさを久しぶりに感じたような、そんな気持ちになりました。

 

その薬のおかげで、眠りをコントロール出来るようになったので、今は割と色んな事が再び出来るようになりました。ですので、今は精神的にはかなり落ち着いています。若干気になるのは、その薬のせいで、午前中をほぼ眠ったまま過ごさなければならないことです。しかし、それは身体が睡眠を求めているのだと解釈し、身体が求めるままにしています。

 

これが、体調の面での近況です。

 

 

次に、僕が記事を更新できなかった、あるいはしなかった原因として挙げられることは、自分の文章を繰り返しずっと見返していた、ということです。

 

これは先週のことです。

 

僕は今年の1月から文章を書き続け、このブログの記事も60記事を越えました。このブログを始めるにあたって、自分はどういうことを発信したいのか、また、どんな目的でブログを運営するのか、自分なりに考えてブログを始めました。

 

僕がパニック障害になったことで、自分が病気について調べたことや自分自身の体験を発信し、同じ病気で悩んでいる人と共有することが最初の理念でした。そして、今後の人生の中で、外に働きに行けなくなることのリスクを考慮して、このブログを運営することで、マネタイズの勉強をし、ゆくゆくは広告で利益を得られたらいいと思っていました。

 

だからこそ、書き始めたばかりの頃の記事は情報発信型の記事が多かったです。そして、まとめサイト的な手法を用いて文章を書き、読みやすくかつ、共感を拡げたいと思っていました。PV数はかなり気にしていましたし、読者数にもこだわっていました。

 

しかし、そのような文章を書き続けていると気付いたことがありました。それは、「別に自分が発信しなくても、他の誰かが同じことを発信している」ということです。そしてもう一つ、グーグルの検索で上位にくる記事のほとんどがSEO対策にしか目がいっていないような、記事ばかりだということです。

 

広告収入というものは、自分の運営するブログにいかに来てもらうか、がまず重要になってきます。そのための方法論はインターネット上に溢れていまして、方法論が更なる方法論を呼んでいるという有様を呈しています。

 

 

方法論というものは人を惹きつけます。

 

何故なら、未来を見通すことは誰にも出来ないからです。それならば、先に成功している人と同じ道を歩んだ方が手っ取り早くて、確実なのです。それはちょうど、自分の全く知らない土地に行って、お腹が空いたときに、吉野家に行ってしまうのと同じです。

 

 

結局僕は何が言いたいのでしょうか。

 

僕が広告収入を得たいのであれば、SEO対策を徹底的に行った文章を書き、毎日のように読者数を獲得するために動く必要があります。そして、いつの間にかこのブログで実現したいことの優先順位が変わってしまうのです。

 

確かに、広告収入を得たいとは思いましたが、僕は、やっぱりそれよりも発信がしたかったのです。そして、どうせ発信するなら自分が読んで面白いと思うモノを発信したかったのです。発信したいと思うモノは、SEO対策をして書くような文章とは真逆のモノでした。それは、1000円で吉野家の牛丼を2,3杯食べるよりは、1000円で少しいい肉を少量買って自宅で牛丼を作って食べたい、そのようなことです。

 

 

インターネットで拾ってきた本当かどうかも分からない情報をまとめ上げて、自分の記事として発信することが、僕にとっては価値がないということに気付きました。そして、そういう文章は単純に読んでいて面白くないのです。「人生をやり直す5つの視点」なんてよく書けるなぁと感心してしまいます。幾分かの皮肉を込めて。最後にいかがでしたか?なんて言われても、正直どうでもいいのです。

 

僕は、面白い文章を書きたいと思うように途中からなり始めました。出来ている出来ていないは別として。自分が面白いと思うような文章は書いていて楽しいし、文章をひねり出す行為が僕にとっては面白いものでした。

 

そして、記事を書いていく中で何かしらの賞に応募したいと思うようになり、自分の記事を割と厳しい目で見返したのです。

 

 

その作業が先週行われていました。

 

 

文章とは不思議です。記事を挙げた時には最高だと思っていても、後から読み返すとその記事は目も当てられないようなことが多くありました。書き直して、次の日にまた見返すと、また直したくなってきます。

 

その作業は幾分かの苦痛を伴いますが、楽しいものでした。子供を育てるという感覚に近いのでしょうか。僕には子供がいないので分からないのですが。

 

そのようにして、今まで書いた自分の文章を見返してみると、自分が主張したいと思うことはほとんどないということに気付きました。そして、自分でも驚くことですが、最初に掲げた理念というものが、ほとんど自分の記事の中に残っていないことが分かったのです。

 

正確に言えば、自分の主張したいと思うことは2つ3つというところでしょうか。つまり、同じ主張をあれこれと場面を変えたり、レトリックを用いたりして、繰り返しているに過ぎないのだと気付きました。その繰り返される主張は、決して僕が意図して出したものではありません。それは帰納法的に発見されたものです。

 

それに気付いたとき、何もむやみやたらと毎日記事を更新しなくても良いというところに僕の気持ちは落ち着きました。毎日書き続けていくと、確実に自分の中の何か、欲のようなものがすり減っていきます。やはり、書きたいときに書くことが一番なのかもしれません。眠りたいときに眠ることが一番良いのと同じです。見る人によっては甘えであると見なされるかもしれませんが。

 

まずは「書きたい」と思う気持ちを最も大切にしなければならない。僕の欲を擦り減らすことが一番良くないと思ったのです。どうやらその欲は、こんこんと湧き出るような泉のようなものではなく、岩の隙間から流れ落ちるような水を、透明なコップに溜めるようなものみたいです。

 

恐らく、一人の人間が主張したいと心から願うモノはごく僅かなのです。そして、主張したいと躍起にならなくても、ある程度の慣れがあれば自然に出てくるモノなのではないでしょうか。 

 

 

このような訳で、記事の更新に間が空いたのです。そして、これからも多少の違いはあれど間は空くと思います。

 

しかし、記事を更新しなくても僕は何かしらの形で毎日文章を書いています。それはお見せできるようなものでは無いので、記事としては挙げないだけです。

 

 

以上、長々と綴ってきましたが、こんなわけで、最近僕の内的なものに変化が色々訪れました。

 

今回は久しぶりに近況という形で文章を書いてみましたが、これはこれで書いていて気持ちがいいし、自分という人間の確認作業にもなります。

 

 

頻繁な更新は無くなるかと思いますが、ブログ自身は気長に続けていくので、これからもよろしくお願いします。