パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

good enough

1980年代頃、アメリカの心理学で「good enough」という概念が提唱されたらしい。直訳すると分かりにくくなってしまうが、日本語の直すと「ほどほどに」という意味らしい。

 

精神疾患を患ってしまう人の特徴として、「真面目」な性格の持ち主というのは良く知られていることだ。この「真面目」というのが厄介なもので、「ほどほど」という生き方が出来ない人も多い。常に完璧であろうと自分自身を追い込んでいってしまう。そんなストイックさが自分を追い詰めることにもなるというのだから、そのバランスの取り方が難しい。

 

しかし、「真面目」に同じように頑張っているのだが、病気になる人とならない人の違いは何なのだろうかと、よく考える。

自分もそれなりに努力をして、日々のやることに時間を割いて、人より成果を上げることは割と好き、というよりむしろそれが快感だったりしていたのだが、病気になってしまった。一方で、常軌を逸した活動をしていても全く病気にならない人もいる。

 

こういう違いを心理的な面に全ての答えを求めようとするのは間違いで、遺伝子の構造の違いとか、個体差によって病気になるかならないかの違いは確実にある。

ただ、病気になってしまうと「自分は打たれ弱いんじゃないか」とか「甘えなんじゃないか」とか思ってしまうのも仕方がないことだろう。というより、僕もそう思っていたし、症状が落ち着いた今でも、自分の性格が嫌になることもある。

 

僕が病気になってしまったことの大きな要因として確実に挙げられることがある。

 

 

それは、「他人の目を気にしすぎる傾向がある」ということだ。

 

「真面目」に努力をするのも、自分のことを認められたいからであり、自分の性格が嫌になるのも、他人と比べてしまうから自分のことが嫌いになっていってしまう。「モラル」のことを気にしすぎてしまうのだ。

 

そして、他人からの評価を勝ち取ろうと、自分に負荷をかけ続けて、更に自分は誠実な人間であると思われたいから、世間的にはあまりよろしくないであろうことを隠して生きている。その一方で、面白いものは大抵常識からは外れているので、それを求めてしまう自分もいたりする。

 

そうなると頭や心の中は大変なことになって、制御不能になった時に病気になってしまったんじゃないかと思う。

 

そこまで分析したのはいいが、性格を変えるのは恐らく本当に難しい。発症時に比べて段々出来るようになってきてはいると思うのだが、「ほどほどでいい」というのは、僕にとって難しい。

なので、「ほどほでいい」という考えをほどほどに受け入れてあげるというのが、自分にとっての第一歩なんだと思う。

 

そして、ある意味、「曝露療法」にもなってくるのだが、自分のことをなるべく晒していくということも段々やっていこうと思っている。

 

自分のことを隠蔽し続けて生きていくというのは、本当にしんどいことだからだ。かといって、全てを曝け出すのは、自分でも気付いていない自分もいるので、到底無理な話なのだが。

 

せっかくこうして文章を毎日のように書いているので、面白おかしく書いていきたいと思っている。どうも、内容を真面目に書き続けるというものをやるというのは、僕にとってしんどいからだ。ふざけるのは純粋に楽しい。という訳で、度々お見苦しい点を見せることにもなると思うが、そこは今この場で前もって謝罪しておきます。

 

何にせよ、「ほどほど」「good enough」という概念は、病気から脱出する大きなヒントであると思う。