パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

世界観を確立した先に待つもの

どこからか音楽が聞こえてくる。

暖かい日の光に包まれた、ちょっと気怠い午後。この状況に似あう音楽は、気怠そうに演奏されているジャズのスタンダートだと思う。「酒バラ」なんて悪くはない。

 

しかし、僕の耳に届いてきたのは「AKB48のフライングゲット」。

ラテン調のその曲は僕の世界を破壊し、カオスへと誘った————

 

 

 

 

吹っ切れた人は強い。

 

僕は本当にそう思うのだ。

 

誰にも媚びることなく、ただ自分で決めた道を堂々と進む。その姿は見ていて心を打つものがあるし、美しくさえある。

 

お金なんて関係ない。そう言うと、何をいい大人が青臭いこと言っちゃってるんだよ、と思われるかもしれないが、僕たちは、心のどこかにわずかながらにでも、そのような感情がありはしないだろうか。

 

考えてみれば、歳と共に価値観は変わっていって、大人になってくるとどうしても経済的なことが付きまとってくる。お金をいかに稼いだかが社会的なステータスと見なされることが多いのが現状だ。そして、「勝ち組、負け組」なんて言葉を作ったりして、「お金をいかに稼いだか」ということを勝ち負けの定義とするならば、お金をたくさん稼いでいる人が勝ちになるし、「ストレスなく生活できるか」を勝ち負けの定義とするならば、田舎に移住してスローライフを送ることが勝ちになる。

 

そうやって僕たちは、自分を何とか勝者の側に持っていこうと定義をあれこれこねくり回して、相手の足を引っ張ろうとする。

 

夢を追いかけてはいるが、経済的に不自由な人を見れば「夢なんて追いかけても、食っていけなきゃ意味ないよね」と見下し、逆に休日でも働きに働いてお金を稼ぐ人を見れば「お金を稼ぐだけが人生じゃないのに」なんて見下したりする。

 

結局は完璧な人生なんて存在しないのだ。他人を見下さなきゃ自分の存在を確認することが出来ない、哀れな集合体が僕たち人間、いや、日本人なのかもしれない。

 

そういった風潮から逃れるのは意外と難しい。自分の人生を精一杯生きたとしても、やりたいことは山のようにあるし、他人の家の芝は青く見えるなんてことは多々ある。考えてみればそういう人生は、秋から冬にかけて風に舞う枯葉のような人生で、自分の意志でで何も決定出来ないでいるような気がしてならない。

 

こんなことを偉そうに書いてきた僕も、枯葉のように空にたゆたう人生を送ってきたのかもしれない。自分の芯が無いのだ。その結果がこのパニック障害かもしれないと、思う時がある。

 

 

吹っ切れた人は輝いて見える。

 

そんなことを実感した出来事がある。

 

 

僕の彼女は秋葉原に住んでいる。僕は山梨の方面に住んでいるので、彼女の家まではかなり遠い。それでも、週末になるとせっせと彼女の家へ通っていた。ちなみに、僕の住んでいる地域はいわゆるベッドタウンという街で、家族で住んでいる世帯が多く、あまり変わった人はいない。たまに昼下がりの公園に行くと、定年退職して手持無沙汰なのか、暇を持て余している老人がいるぐらいだ。

 

しかし、秋葉原のような都心になると様々な人がいる。

 

一見平和そうな公園でも、中に足を踏み入れて公園を見渡すと、クタクタの背広を着たサラリーマンがベンチで寝ていたり、何年も洗っていないような服をきて呪詛のような言葉をつぶやき続けるお婆さんもいる。そして、その脇で中国人が大声で電話をしていたりする。

 

こんな光景は、僕の住んでいる地域では見られない。それぞれが、それぞれの人生の物語を持っている。そんな光景をみると、少しだけ哀しいような、何とも言えない気分になってくる。等しく生を受けたことだけが共通点で、それ以外は全く異なっている。どのような人生を歩んできたを如実に物語っているのが、今の自分の姿なのだ。そういう意味で、突き付けられた現実を見ると、何ともやりきれないような気分になる時が往々にしてある。

 

 

 

彼女の家に向かっていたある日のことだ。

 

彼女の家の最寄りの駅まで到着し、そこから家まで歩いてゆく。

 

比較的交通量が多い場所で、行き交う人々もまぁまぁ多い。スーパーのレジ袋を重たそうに持つ女性。ランニングをしている初老の男性。そして、ガソリンスタンドから聞こえる威勢のいい声。全く普通の日常だ。暖かい日の光に包まれた、ちょっと気怠い午後の日だ。

 

いつものように、彼女の家に行く前に近くのスーパーでミネラルウォーターとハイボールを買い、彼女の家に向かう。家に着いたら、まず掃除をしなきゃな。そんなことを考えながら歩いていると、僕は違和感を感じた。

 

 

一体この違和感は何なのだろう。空気が張りつめたような緊張感が少し漂っていた。おかしい、全くいつもの日常だ。周りを見渡しても皆普通にしている。僕だけがこの世界から切り取られてしまったのだろうか。そんな不安な気持ちになる。

 

一歩一歩進むごとに体にまとわりついてくる緊張感。僕は、その気持ち悪さから解放されるべく、五感を研ぎ澄ませ、その原因を探った。少なくとも原因が分かれば対策は立てられる。こう見えて、人生という荒波を不器用ながら乗り越えてきたのだ。この場合、原因を探すことが最優先だ。神経を研ぎ澄ませろ・・・!!アムロ・レイのように・・・!!

 

 

ん?これは、なんだ?はっ・・・!シャアか!?

 

微かに感じる違和感、それは音だった。

 

 

いや、これは音楽だ。そうか、この場所に似通わない音楽が流れているんだ。

 

 

「AKB48・・・・?フライングゲット・・・か?」

 

シャアでは無かったが、その音楽の正体がはっきりしてきた。段々音楽のボリュームが大きくなってくる。

 

 

何なのだ。一体、何が起こっているんだ。そんな音楽がかかってくるなんて予想外だ。今の気持ちとしては「燃え上れガンダム」が聞こえてきてほしい。

 

そう思いながら前方を見ると、それまで行き交っていた人々が、まるで「モーセ十戒」のシーンを思い出させるかのように二手にきれいに分かれた。

 

 

その中心から何かが近づいてくる。

 

 

 

僕は絶句した。

 

 

 

白のハイヒールを履き、黒のニーソックスを身に着け、さらに短パンを履き、上半身に直にデニムのジャケットを身に着けていた、筋骨隆々なおっさんが歩いてきた。その肌の色は日サロに行ってるかのような黒色で、サングラスをかけ、肩にステレオを乗せていた。ジャマイカ人もビックリである。古代ギリシア人もびっくりなほど筋骨隆々である。

 

そしてそのステレオから流れてくる曲が「フライングゲット」。

 

フライングすぎるだろ。いや、そんな概念すら約に立たない。皆が準備体操をしている間に一人ゴールをして、喜んでいる。そんな前のめりなスタイルのおっさんが堂々と歩いてきているのだ。

 

 

これは現実なのだろうか?

 

正に、黒王号に乗ったラオウの如く威風堂々としている姿に、僕は道を空けざるを得なかった。ラオウ様、お靴が汚れております!!さぁー、さぁー!!なんて言う勇気は持ち合わせていなかった。

 

 

一体何のために、そのおっさんがそういう格好をしているかは誰にもわからない。いや、分からなくていいのかもしれない。意味の無いことを、堂々とやってのけるその姿に、僕はおっさんだけの世界を見たような気がした。

 

 

誰にも比べられない。自分だけの世界。

 

 

おっさんは、この大都市東京の中で、自分の世界を持ち続ける術を手に入れていたのだ。誰もおっさんと自分を比べようとは思わないだろう。おっさんも誰とも比べようともしていない。比べること自体が不毛な行為であるからだ。

 

 

吹っ切れた人は強い。僕の脊髄に電流が走った。 その世界を垣間見た時に、少々の憧憬があったことは否めない。

 

 

 

お前も、いつか俺みたいに自分の世界を持てよ。なぁ、ブラザー。お前ならきっとやれるさ、いいな?

 

 

 

そのおっさんの背中からは、そんな声が聞こえてくるような気がした。

 

 

そうしておっさんの背中を見送っていると、警察が現れ、おっさんは職質を受け、あんなに大音量で流していたステレオの音を全力で絞り、サングラスを取って謝罪していた。地に頭がつくんじゃねーかってぐらい謝罪していた。国家権力にはただただ弱いおさんだった。

 

 

しかしその甲斐空しく、警察にどこかに連れていかれてしまった。

 

 

 

自分の世界を持つこと。

それは、ある意味両刃の剣なのかもしれない。

 

 

あそこまで謝るなら、普通の恰好すればいいのに。

産み落とされる哀しみ

空気が暖かくなると、街に人が多くなる。

 

特に、冬から春に移り変わる時、その傾向は顕著なような気がするのだ。まぁ、花粉症にかかっている日本人はかなり多いので、冬から引き続き家の中に引きこもる人も多いと思うが。

 

ただそれでも、冬の刺すような冷たい空気から、春のふわりとした暖かな空気に変わることで、同じ姿勢をずっと取っていて凝り固まった筋肉を解きほぐす時のように、段々と外へと動く人が多いように思えるのだ。

 

その一方で、日本を訪れている外国人観光客も最近は本当に増えてきた。中国人観光客のかつての勢いは衰えたものの、まだまだ外国人観光客はたくさんいる。特に上野とか浅草とかは、ここはもうチャイナタウンなんじゃねーか、ってぐらい、中国人がいる。

 

たまたま上野で入った洋服の青山とかで、中国人の従業員から中国語で話しかけられるなんてこともザラだ。その後、決まって謝られるのだけど、慌てたのか「お客様、大変申し訳ありません!不好意思!」なんて、最後に訳の分からない言葉が口から出てくる従業員もいる。

 

着物を売っている白人の女性がいたり、絵巻物を売っている黒人の男性がいたり。他の人種がなかなか見られなかった日本でも、最早外国人がいる光景は特に東京では普通になってきていると実感する。そういう僕もタイ人と付き合っているので、日本の国際化の流れは今後増々拡大していくように思えてならない。

 

日本を訪れる外国人は、日本の豊かな四季を味わおうとしたり、性能が良くて評判の電化製品を買ったり、みんなそれぞれ楽しんでいる。日本側もアピールに必死で、日本の四季をこぞってアピールし、どの季節に日本に訪れても見どころはたくさんあることを海外に訴える。僕の地元の長野県でもそうなのだが、本当に観光業に力を入れているなと感じる昨今だ。

 

しかしそうして日本を楽しんでいる外国人を見ると、僕には一つの光景がありありと思い出されるのだ。

 

 

 

あれは、中学の頃だっただろうか。

 

僕の出身は長野県だ。なので東京に比べたら当然田舎で、中学校は田んぼに囲まれたところにあった。そんな田舎感丸出しの中学校なのだが、実は長野県の中でも中学校としてはトップレベルの学校で、基本的には生徒は皆塾に通っていた。僕の記憶によれば、クラスで塾に行っていない子は一人もいなかった気がする。

 

塾は基本的には学校終わりに行くところなのだが、学校が終わる時間と塾の始まる時間の間がけっこう空いたりして、よく同じ塾の仲間と塾の前に遊んで時間を潰していた。僕の通っていた塾は、長野市の中でも繁華街に存在していて、東京で例えるなら歌舞伎町みたいなところに存在していた。すいません、嘘です、言い過ぎました。背伸びしても、八王子の繁華街には勝てません。

 

そんな少し寂びれた繁華街でも夕方ぐらいになると、チラホラとキャッチのお兄さんたちが気怠そうに出てきて、もう少し日が暮れると、これまた気怠そうにフィリピンだか中国だかの女性がどこかの店へと入っていく。出勤時間なのだろう。

 

中学生にとってはそこは結構怖い街であり、同時に刺激が強い街でもあった。後に東京に行った時に「長野って教育県だから、風俗なんてないんだろ?」なんて聞かれたけど、そんな情報は全くの嘘である。中学の僕にも分かっていた。大人のお店があるってことを。僕たちは親から、塾の時間以外ではあまり繁華街には近付かないように言われていたので、時間を潰す場所はいつも、繁華街から少し離れたところにあった寂れたボーリング場だった。ここはボーリングをしなくても大丈夫な飲食のスペースがあったので、大変重宝していた。

 

 

ある日のことだった。

 

その日は平日だったが、開校記念日かなんかで学校が休みだった。しかし、その日は塾があった。いつもなら学校から直接友達とボーリング場に行っていたのだが、この日は少し早めにボーリング場に到着してしまい、一人で友達を待つことになってしまったのだ。

 

みんなが到着するのを待つのもヒマだったので、何となく繁華街の方をぶらぶらしようと急に思いついた。時間帯的にも、まだネオンが光るような時間帯では無かったので、探検してみようと思ったのだ。いつもなら決して近づかないような場所に、しかも一人で行くのはちょっとした冒険のようで、胸がドキドキした。

 

しかし、ほとんどの店がシャッターを閉めていて、開いていたのはずっと安売りの札が貼ってある洋服店とか、くたびれたツタの植物を扱っている花屋とかそれだけだった。想像していたものと違う気がして、何となく少しがっかりした。もう少し危険な匂いがするものを期待していたのだ。冒険には危険がつきもので、後で友達に言い聞かせるような武勇伝の一つや二つ、こしらえたい気持ちでいっぱいだったのだ。

 

しかし、夜は多少の賑わいを見せているものの、明るい時間帯の繁華街は、まるで別世界のように静まりかえっていた。ここでは昼が夜になっていて、夜が昼になっているのだろう。

 

 

そろそろ暗くなってきたし戻ろう。

 

 

引き返すと、さっきまで閉まっていたシャッターが上げられていた店もあった。妖しい色のネオンが少しずつ灯り始めて、換気の為だか分からないけど、重厚そうな扉を開け放っている店もあった。その店からは長いこと放置されていたような布団のような匂いと、油のにおいが漂ってきて、その匂いは少なからず僕を不安な気持ちにさせた。

 

何となく不安な気持ちを抱えつつボーリング場に向かっていると

 

 

 

「また、お前は言う事を聞いてないのか!!!!!!」

 

 

 

もの凄い怒声が、僕の耳に届いた。心臓が飛び出るかと思った。

 

不安な気持ちよりも興味が打ち克ってしまい、何を血迷ったのか僕はそーっと、その声がしたであろう店の中を覗き込んだ。

 

すると、そこでは太ったおっさんに頬を平手打ちにされている女の子がいたのだ。あまりの光景に僕は固まってしまい、しばらくその場を動けなかった。すると、一人の年増の女性が大声で止めに入ってきた。その言葉は僕には理解できなかった。思い返せば中国語だったような気がする。

 

 

年増の女性に気を取られたおっさんの手を振りほどいて、女の子は店の入り口にいる僕の方に突進してきた。

 

 

やばい!!!!と思って、僕は即座に踵を返した。

 

 

そして、女の子はもの凄い勢いで扉から出てきて、僕のことを横目でチラッと見た。目が合ったのだ。燃えるような瞳をしていた。随分長い間目を合わせていたような気がするのだが、常識的に考えて、女の子は店から逃げるところだったと考えられるので、仮に目が合ったとしても一瞬だろう。

 

そして、女の子ははだしのままでどこかへ駆け去っていった。店の中からは相変わらず怒声が僕の耳に届いていた。

 

女の子の背丈は僕と同じぐらいだった気がする。何かこの世界の見てはいけないものを見てしまったような気がして、僕はもの凄く動揺した。

 

 

 

その後、ボーリング場で友人と合流したのだけれど、その時のことは一切話すことが出来なかった。塾の講義の間も僕は上の空で、夜も上手く眠ることが出来なかった。何となくその女の子の燃えるような瞳が頭に焼き付いてしまっていたのだ。

 

しかし、普通の学校生活を送っていくうちにその女の子のことを、心に上手くしまい込むことが出来るようになって、その繁華街にも全く近づかなくなった。もうあのような光景は目にしたくなかったのである。

 

 

 

東京に上京した後、長期休みの時は実家に帰ってたまにあの繁華街で飲むこともあったのだが、その時は決まってふとその女の子のことを思い出すようになっていた。大人になるにつれて、色々なことを僕たちは学ぶのだけれど、あの子はもしかしたら世に認識されていない子で、世間からは隔絶された世界で生きていたのかもしれない。ヘイハイツのように。ちなみに、その店はもう存在していない。

 

 

あれは、人生の哀しみが具現化された一つのシーンなのかもしれない。

 

 

僕の彼女はタイ人なので、タイのことをよく聞く。タイは観光業に力を入れていて、日本人もよく行く国として有名だ。また、タイは風俗産業が有名である。ゴーゴーバーなんて言葉、聞いたことある人も多いのではないだろうか?

 

日本の男は、本当によくタイの風俗に行くらしい。そしてそこでセックスをして、帰国するのだ。その時、その相手をした女の子が妊娠をしてしまうことが度々あるらしい。基本的にはコンドームを付けることになっているが、わがままな日本人は金にものを言わせて、付けない場合も多いのだそうだ。女の子もチップが欲しいからそれに従う。そして、望んでもいない子供が産まれてしまう。

 

その場合は女性の自業自得な面もあるのだが、悪質な場合は結婚を約束してセックスを満足するまで楽しみ、「必ず帰ってくるから」の言葉を残して、永遠に帰ってこない日本人もいるとのことだ。その帰ってこない夫を子供と一緒に待つタイの女性も存在する。

 

 

僕は別にフェミニストではないけれど、こういった話を聞くと何ともやりきれなくなる気持ちがある。

 

人が観光で楽しんでいる一方で、こうした現実も世界にはあるということは事実だ。あの日、僕と目が合った女の子も、もしかしたら望まれて産まれなかった子供なのかもしれない。しかし、それでも命があるから必死で生きていたのだ。今もどこかで生きていると信じたい。

 

 

海外から来る外国の人たちが増えているのを目にしたとき、そこで生じる笑顔の裏では、目を覆いたくなような哀しみも同時に産み落とされているのかもしれない、と僕はどうしても考えてしまう。

 

 

そういう現実を直視しなければ、世界の平和なんて永遠に訪れない気がするのは僕だけなのだろうか?

 

 

ありていに言えば、あの日の女の子の燃えるような瞳は、この悲しみを訴えていたような気がしてならない。あの日から長い時間が経ち、自分の記憶の中での女の子の瞳は、瞳の奥に哀しみも宿るようになっていた。

狂気の持つ力

信じられない話だ。今思い出してみても、簡単には信じられそうもない。

 

パニック障害を患ってしまった僕が、急行電車に乗り、挙句の果てに、花見シーズンの井の頭公園に行くなんて。 一般の人なら「何を大げさな・・・(笑)」とか思うかもしれないが、僕と同じ病気で苦しんでいる人から見たら、驚愕に値することのはずだ。

 

パニック障害の代表的な症状として、「予期不安」と「広場恐怖症」が挙げられる。それぞれの症状に関しては、このブログで以前に説明したことがあるはずなので詳細は省くが、簡単に説明すると、また発作が起きるのではないか、という不安と、人混みが全くダメになってしまうという症状だ。

 

特に電車に関しては、パニック障害の中でも苦手なもののキングオブキングといった感じで、乗れなくて苦しんでいる方も多いことだろう。実際に僕も苦手だ。というより、駅を何個か飛ばす急行には絶対に乗れないのだ。

 

 

しかし、その日の僕は違った。

 

 

急行に乗り、そして花見で人が溢れかえる井の頭公園に一人で行ったのだ。なぜあえて急行で行ったかというと、電車に乗っている時間がもったいないと思ったからだ。それぐらい僕の気は急いていたし、心はドキドキしていた。

 

 

早く会いたい。早く顔が見たい。

 

 

その一心で、僕は苦手なものを一瞬のうちに克服できたのだ。

 

 

ここで、一つ言わせて頂きたい。僕は何も、アイドルとか女優とか有名な人とか、彼女に会いに行ったわけでは無い。 いや、誤解しないで頂きたい。彼女にはいつだって会いたい。そうだろぅ?でも、近すぎて見えないものもあるだろぅ?望遠鏡を覗いたら、隣にいる人の顔なんて見えないのと同じだ。お分かり頂けただろうか?いや、きっと分かっている。

 

 

さて、彼女への言い訳が済んだところで少し井の頭公園の説明をしたい。

 

井の頭公園は吉祥寺にあって、動物園もあるなかなか大きな公園だ。三鷹方面まで行けば、「三鷹の森ジブリ美術館」もある。このような理由で、動物を見に来た家族連れ、デートに来たカップル、はたまたジブリが大好きなオタクなど、様々な人が集まるのがこの公園の特徴だろう。そして夜の井の頭公園のベンチには、必ずと言っていいほどチュッチュしているカップルがいる。

 

そして、桜が咲く季節になると狂ったように人が集まる。「お花見」という文化が日本には存在していて、桜の木の下で狂ったように酒を飲み、狂ったように食べ物を食べる。

 

お花見の起源は、古くは奈良時代の文献に残されているらしく、元々は貴族間で嗜まれていたものであったらしい。庶民にこの「お花見」の文化が広がったのは江戸時代に入ってかららしく、この江戸時代に桜の品種改良が大いに行われ、当時の江戸で花見の名所として最も有名だったのが「上野恩賜公園の桜」であった。そうした歴史もあってか、現在も上野には桜の季節になると国内外から狂ったように人が集まり、自動ベルトコンベヤーに乗ってるかの如く、人は狂ったようにギュウギュウ詰めになりながら一定の速さで、狂ったように桜を見て回る。

 

昨今は、桜の木が折られたり、立ち入り禁止の場所に平然と人が入って写真を撮ったりするなどの事態が頻発しており、桜を楽しみたいんだか騒ぐことを楽しみたいんだか、訳の分からない事態に陥っている場所もある。全く、狂っていやがる。

 

僕は基本的には花見があまり好きではない。なぜなら、花粉症の季節にどストライクだし、そもそも桜の季節はまだ大抵肌寒いのだ。だから、桜の木の下で凍えながら飲んだり食べたりするという概念が理解できず、それなら桜が見えるレストランでご飯を食べればいいと思ったりしてしまう、ちょっとニヒルな自分がいたりするのだ。

 

というより、花見に誘われたことなんて全くないのだけど。全く、狂っていやがる。

 

 

でも、僕は花見の季節の井の頭公園にどうしても行きたかったのだ。別に誰かから誘われたわけではない。むしろ、そんなに人がたくさんいる場所にいたら、症状も悪化してしまうかもしれない。そんな懸念も振り払われてしまうほど、会いたい人がいたのだ。

 

 

いつの日以来だろうか。こんな激情に駆られた気持ちになったのは。

 

少なくとも、パニック障害になってからは初めてだった。

 

 

 

僕が向かった先、それは「オフ会」だ。

 

 

今では「オフ会」なんて死語みたいなもんだけれど、僕はある人が開催している「花見オフ会」に参加するために、井の頭公園に行ったのだ。

 

その人はライターで、僕が一番文章を書く際に参考にしているライターさんなのだ。初めてその人の存在を知ったのは今からおよそ10年前だろうか。その人の書く文章はとにかく読みやすい。ふざけと真面目のバランスがちょうど良く保たれていて、長文でも読んでいて全然苦にならないのだ。しかし、内容は狂っている。

 

今までも、その人がオフ会を定期的に設けていることは知っていたのだが、いかんせん人見知りな性格と、音楽活動で忙しくてずっと行けなかった。しかし、今、僕もこうやってほぼ毎日のように文章を趣味で書くようになって、そのライターさんの凄さが更にひしひしと分かるようになってきたのだ。

 

会ってみたいな。そんな想いが狂ったように募っていた矢先、そのライターさんが主催する花見オフ会の存在を知ったのだ。

 

しかし、僕の内側ではもの凄い葛藤があった。僕は病気だ。しかも、花見が苦手だ。更に、今まで「オフ会」なるものに参加したことはない。そんな場所に行って、僕は正気を保っていられるのだろうか?

 

 

正直言って、ラーメン屋に行ってライスを頼むかどうかぐらい本気で悩んだ。

 

 

でも、僕の気持ちは止まらなかった。

 

 

よし!会いに行こう!

 

 

ずっと、尊敬してました。心からあなたの書く文章が好きです。僕も今、趣味で書いているんです。

 

 

このことを伝えたかった。

 

 

決めたら行動は早かった。

基本的に一日中オフ会は開いているらしい。それならば、一番気温が暖かいであろう時間帯に行って、少し話をしてすぐに帰ればいい。薬の準備だって万端だ。何なら、少し笑いを取ろうとサインを書いてもらう本に、村上春樹の「騎士団長殺し」を選んだ。

 

これだ。少しクスりと笑いが取れることは、自明の理だろう。薬も持っていくし。日は必ず東から昇る。それくらい確実に笑いが取れる。全く、僕のこの発想、狂っていやがる。

 

そして、彼はこんなことを言うに違いない。

 

 

「おいおいー、僕は村上春樹ほど書けないよ(笑)」

 

 

「いえ、僕は村上春樹ぐらい尊敬してるので!」

 

 

「なんだ、かわいいやつだなー(笑)君も何か書いてるの?」

 

 

なんて、展開になることは100%確実だ。

 

 

 

そして到着した井の頭公園。想像以上に人がいた。

どいつもこいつも狂ってやがる。全く、桜というのは人を狂わせる花粉でも出してんじゃねーかって思うぐらい狂ったように人が騒いでいる。お婆さんの恰好で本気で騙そうとして、毒殺をたくらもうとしている大男ぐらい皆狂っていやがる。

 

ツイッターで挙げられていた写真だけを頼りに、そのオフ会の開催場所を探した。

 

 

 

あのね、一向に見つかんない。

なんも目印とか出してくれてないのな。

 

人がギュウギュウに詰まっている井の頭公園を一人うろうろする。一人で来ている人なんてほぼいないので、僕は花見に参加してるんですよ的なオーラを出さねばと思い、TOKIOの「花唄」を口ずさみながら、オフ会の場所の探し求めた。

 

そしたら白人が「シャラップ!!うるーせよこのジャップが!!」って、僕のことをいきなり怒鳴りつけてきた。普段なら、こんなシチュエーションになったらとても落ち込むか逆にキレるかのどちらかだが、その日の僕は違っていた。

 

 

そう僕には崇高な目的がある。

 

余裕の笑みを浮かべ

 

 

「ソーリー。ヒゲソーリー。」

 

 

とだけ返した。

この余裕、たいがい僕も狂っていやがる。

 

 

しかし探せど探せど、オフ会の場所は見つからない。

 

あぁ、やっぱりダメなのか。まだ、会うタイミングじゃなかったのか。

 

なんて、灰色の空のようにどんよりとした気持ちになって、池の柵にこしをかけてぼーっとしてた。

 

そして、ふと何故か目の前にあった雀卓に目をやってみる。雀卓・・・?

 

 

 

「〇〇〇オフ会。」

 

 

あったーーーーー!!!こんな目の前にあったーーーー!!!!

 

やっぱり、神様は僕を見捨てていなかったのだ。こんなに頑張って来た僕に神様はご褒美をくれたのだ。しかし、雀卓とはオツなことをしているもんだ。さすが僕のあこがれている人。

 

 

嬉しくなったと同時に、もの凄くドキドキしてきた。

 

あぁ、やっと会える、あのライターさんに会える。やばい、やばい、呼吸がおかしくなってきた。

 

 

オッケー、落ち着け落ち着け、僕。

 

 

深呼吸をして、そのオフ会に突入しようとした。

 

 

 

「あの、すいま・・・・」

 

 

「遅かったじゃーーん!!!!おいおい!!久しぶりーーーー!!!」

 

 

僕の声を打ち消すほど大きな声が響き渡った。

 

どうやら、この声の主はオフ会の常連らしく、一気にその主に注目がいってしまった。しかも久しぶりだったらしく、一気に話題に華が咲いてしまったようだ。

 

 

サインを貰うために村上春樹の小説を手にしていた僕。完全にアウェーになった。

 しばらく固まっていたら、そのオフ会に参加している人が

 

 

「あれ?何か用ですか?」

 

 

と優しく話しかけてくれた。

 

 

「いえ、いいんです。すいません、失礼します。」

 

 

入るタイミングを逸した僕は完全にパニックになってしまい、その場から狂ったように走って逃げだした。

 

狂っていた、皆狂っていた。

 

何より僕が狂っていた。そして、村上春樹の小説は手汗でぐちょぐちょになっていた。

 

 

久しぶりの同窓会で面白いネタを仕込んできたのに、その前に相当面白いことをやられてしまった、そんな切ない気持ちでいっぱいだった。

 

 

速攻で井の頭公園を抜け出して、急行に飛び乗った。

 

 

 

「・・・・・・。まぁ、今日は上出来だったな・・・。」

 

 

 

僕は自分に噛み砕くように言い聞かせた。

 

 

 

全く、僕が一番狂っていやがる。

 

 

後日、普通に急行には乗れなくなっていました。

経験則と世界の大きさ

「ねぇ、ママー。私はどうして産まれたの?」

 

「それはね、パパとママが愛し合ったからよ。」

 

「ふーん。愛し合って私が産まれたんだ?」

 

「そうよ、パパとママが愛し合って、神様がご褒美にあなたを授けてくれたのよ。だから、あなたはママとパパにとっての最高のギフトなのよ。」

 

 

何とも微笑ましい光景である。きっとこの会話が交わされているのは、日当たりが良い一軒家の中で、お母さんが子供を膝の上に乗っけてテラスで会話しているに違いない。その一軒家は、ごくごくありふれた造りではあるが、ささやかな幸せを感じるには十分だ。少しばかり庭とかもり、ハーブが植えてあるに違いない。この家族の楽しみは、一年に一回の家族旅行。外国に行くほどの贅沢は出来ないが、今年は子供と一緒に十分に楽しめる、ちょっと遠いサファリパークに出かけようか、そうだ、その時までに新しいカメラを奮発して買おう。なんて光景がありありと思い浮かんでくる。

 

大抵の人が、上のような会話からこういう情景を思い描くと思う。間違っても夜中の新宿2丁目でこのような会話が起きているとは、想像しないだろう。しかし、新宿2丁目でもこのような平和を絵に描いたような会話が交わされている可能性は十分にある。

 

ただ、多くの人は新宿2丁目を想像しないだろう。

 

 

それはなぜなのだろうか?

 

考えてみると、僕たちには、自分の経験則や今まで培ってきたイメージから物事を決めつけてしまう傾向があると思うのだ。

 

例えば、

「メガネをかけて七三分け⇒頭いい」

「筋肉ムキムキな人⇒ジム行ってる」

「渋谷によく行く⇒遊び人」

覚せい剤を使う人⇒悪い人」

 

みたいな感じだ。しかし、上記のように何の疑問を抱かずに考えてしまうのは、ある意味もったいないことだと思う。上の例文の反例なんて考えればすぐに上がる。

 

「メガネをかけて七三分け⇒のびた」

「筋肉ムキムキな人⇒ラオウ

「渋谷によく行く人⇒東幹久」

「麻薬を使う人⇒のりピー

 

などなどだ。

少し頭を考えれば分かることなのに、僕たちの脳は面倒なことが基本的には嫌いなので、経験則ばかりを当てはめようとする。それはちょうど、広場に行けばエサがあると今までの経験から思い込んで、冬の寒空でも集まってくる鳩のようなものだ。そして、その経験則やイメージからかけ離れたものを見た時に、僕たちの脳は停止する。

 

 

先日のことだ。

僕は基本的にはコンビニで食べ物を買わないので、専らスーパーに行くことが多い。スーパーに行くと、家族連れも多くそこでは元気いっぱいはしゃぐ子供たちも多い。特に、平日の午後にスーパーに行くと良くこういった光景が見られる。

 

買い物を終え、さてそろそろ戻りますかー、って感じで店の外に出た瞬間にラインが入ってチェックをしようとした。

すると、一人のお母さんと二人の子供が仲良く店の外から出てきて、自分たちが乗ってきたであろう自転車の前で子供達がはしゃぎ始めた。そんな光景を見つつラインの返信を済ませ、その家族に目を向けると、お母さんが二人の子供を優しくたしなめつつヘルメットを被せ、チャイルドシートに子供たちを乗せていた。何とも微笑ましい光景である。

 

しかしこのお母さん、めちゃくちゃ美人だった。若き日の黒木瞳そっくりで、僕的にはドストライクで、いきなり僕が登場して「ダメだぞー、お母さんを困らせちゃあ。お母さんは大事にしないとだめだぞぉ。とっても奇麗なんだからな」なんて呼びかけて、そのお母さんが僕のことを少しユーモアがある人だと思ってくれて、「まぁ!ふふふ、ありがとうございます」なんて言ってくれるかもしれない。何なら、重たそうな荷物をご自宅まで持って行ってさしあげて、そのお礼に夕飯ごちそうになって、子供達からも「パパよりこのお兄さんといた方が楽しい!」なんて言われるかもしれない。困った顔をする僕と奥さん。でも、まんざらでもなさそうな顔なんかしちゃったりして。その顔には少しの陰りが・・・。

 

そして子供が寝静まったころ、

「遅くまですいません、今日はご馳走様でした。本当に美味しかったです。」

 

「気になさらないで下さい、主人は帰りがいつも遅いもので、私も楽しかったです。」

 

「そうなんですか・・・。では僕はこれで失礼し・・・」

 

「待ってください!待・・・って、下さい・・・・」

 

「奥さん・・・?」

 

 

 

すいません、僕彼女いるんでこれ以上無理です。書けません。

 

 

 

なんてことを妄想していたら、

 

 

「ねぇ、お母さん、何で私はヘルメットをして、お母さんはしないの?」

 

 

そんな疑問をお母さんに投げかけていた。うんうん、とっても子供らしく素直な疑問だな。きっと、お母さんも気が利いていて、かつ優しい感じの話をするんだろうな。きっと、「あなた達は、ママの大事な宝物なの。だから、もし死んじゃったらママ悲しいわ。だから、少し窮屈かもしれないけれど、我慢してくれる?」なーんて言っちゃったりして。

 

 

 

 

ふわりと微笑んだお母さん。

「それはね、お母さんの頭は石よりも固い石頭だからよ。」

 

 

 

僕の頭がフリーズする。

「イシヨリモカタイイシアタマダカラヨ」

ちょっと何言ってるか分かんない

 

 

 

子供の疑問は止まらない。

「へー。じゃあ、お母さんの頭とカボチャはどっちが固いの?」

 

 

 

「お母さんの頭よ。」

即答。

もう本当に、お母さんの反応が早かった。打てば響くなんてレベルでは無かったです。疾きこと風の如し。

 

 そして、子供二人を乗せ颯爽と去って行った。

 

 

この出来事から、僕は疑問に思った。なぜ自分はこの会話を頭の中で処理するのに時間がかかったのだろうかと。

 

恐らく僕は、勝手にそのお母さんの返しを頭の中で組み立てていたのだ。きっとこういう風に会話が進むに違いないと勝手に予想し、そしてその予想が裏切られたからこそ、僕の頭は一瞬思考停止してしまったのだ。

 

 

和食セットを頼んで、みそ汁じゃなくて、お吸い物がついてきた。そんな感触だ。

 

 

あなたはどう思うだろうか?「和食セットなんだからみそ汁だろ!!全く、ここの店は常識がないな!!!」と考えるか、「あれ?何でお吸い物なんだろ?まぁ、お吸い物でもいいか。というより、お吸い物の方が高級感もあるしいいかも。感謝感謝。謝謝☆」と考えるか。

 

確かに、自分の予想したものから外れたものが出てきてしまえば、怒りが湧いてくるかもしれない。でも、少し考えて欲しい。100%自分の予想したものが出てくるなんて保証はどこにもないのだ。

 

 

パネマジと全く同じである。

 

 

自分の経験則だけで物事を判断してしまい、その経験則から外れた物を排除しようとすると、そこから先に世界は拡がっていかない。「まぁ、大抵は同じ道をみんな進むもんだよ。」なんて言っているおっさんは、実は自分の世界がいつの間にか閉じてしまっていることに気付いていないのだ。

 

ただ、自分の経験則から外れた物を受け入れようとするには、かなりのエネルギーを必要とする。自分の中の基準をまた再構築し直す必要があるからだ。

 

しかし、今どんどん世界は縮まっていて、あらゆる人との出会いが増えてきた。そんな世界で平和に生きていくためには、自分の経験則というものを客観的に見直していく必要があるのかもしれない。そして、精神疾患の患者はもっと世に認識されていいと思うのだ。そんな世界がやがて訪れてくれることを願っているし、僕たちも啓蒙する努力をしなければならないと思うのだ。

 

 

ちなみに僕は、和食セットを頼んでお吸い物が出てきたら、一旦笑顔で受け入れて、その後「お吸い物はねぇよな・・・」なんて文句を言いながら、お吸い物を飲むだろう。

good enough

1980年代頃、アメリカの心理学で「good enough」という概念が提唱されたらしい。直訳すると分かりにくくなってしまうが、日本語の直すと「ほどほどに」という意味らしい。

 

精神疾患を患ってしまう人の特徴として、「真面目」な性格の持ち主というのは良く知られていることだ。この「真面目」というのが厄介なもので、「ほどほど」という生き方が出来ない人も多い。常に完璧であろうと自分自身を追い込んでいってしまう。そんなストイックさが自分を追い詰めることにもなるというのだから、そのバランスの取り方が難しい。

 

しかし、「真面目」に同じように頑張っているのだが、病気になる人とならない人の違いは何なのだろうかと、よく考える。

自分もそれなりに努力をして、日々のやることに時間を割いて、人より成果を上げることは割と好き、というよりむしろそれが快感だったりしていたのだが、病気になってしまった。一方で、常軌を逸した活動をしていても全く病気にならない人もいる。

 

こういう違いを心理的な面に全ての答えを求めようとするのは間違いで、遺伝子の構造の違いとか、個体差によって病気になるかならないかの違いは確実にある。

ただ、病気になってしまうと「自分は打たれ弱いんじゃないか」とか「甘えなんじゃないか」とか思ってしまうのも仕方がないことだろう。というより、僕もそう思っていたし、症状が落ち着いた今でも、自分の性格が嫌になることもある。

 

僕が病気になってしまったことの大きな要因として確実に挙げられることがある。

 

 

それは、「他人の目を気にしすぎる傾向がある」ということだ。

 

「真面目」に努力をするのも、自分のことを認められたいからであり、自分の性格が嫌になるのも、他人と比べてしまうから自分のことが嫌いになっていってしまう。「モラル」のことを気にしすぎてしまうのだ。

 

そして、他人からの評価を勝ち取ろうと、自分に負荷をかけ続けて、更に自分は誠実な人間であると思われたいから、世間的にはあまりよろしくないであろうことを隠して生きている。その一方で、面白いものは大抵常識からは外れているので、それを求めてしまう自分もいたりする。

 

そうなると頭や心の中は大変なことになって、制御不能になった時に病気になってしまったんじゃないかと思う。

 

そこまで分析したのはいいが、性格を変えるのは恐らく本当に難しい。発症時に比べて段々出来るようになってきてはいると思うのだが、「ほどほどでいい」というのは、僕にとって難しい。

なので、「ほどほでいい」という考えをほどほどに受け入れてあげるというのが、自分にとっての第一歩なんだと思う。

 

そして、ある意味、「曝露療法」にもなってくるのだが、自分のことをなるべく晒していくということも段々やっていこうと思っている。

 

自分のことを隠蔽し続けて生きていくというのは、本当にしんどいことだからだ。かといって、全てを曝け出すのは、自分でも気付いていない自分もいるので、到底無理な話なのだが。

 

せっかくこうして文章を毎日のように書いているので、面白おかしく書いていきたいと思っている。どうも、内容を真面目に書き続けるというものをやるというのは、僕にとってしんどいからだ。ふざけるのは純粋に楽しい。という訳で、度々お見苦しい点を見せることにもなると思うが、そこは今この場で前もって謝罪しておきます。

 

何にせよ、「ほどほど」「good enough」という概念は、病気から脱出する大きなヒントであると思う。

 

 

ベートヴェンと狂気

引き続き書きたかったのですが、ブログチャレンジなるものの誘惑に負けてしまい、間が空いてしまいました。

それではどうぞ。

 

 

 

さて、前回書きたかったことを全く無視して自分の本能の赴くままに書きまくったら、ちょっと面白く書けた気になって、いい気分に浸ったんですが、後から読み返してみると、もう主張も小学生並みで、本当にひどい。仮にも本が好きですと公言できるような内容や表現に全くなっていないというとんでもない事態に陥ってしまいました。

 

やはり、文章を書いている時もしっかりゴールを見定めて書いた方が全然いいですね。横道に逸れてそっちはそっちで面白そうだから、そこを盛り上げて完結させるなんて技術はまだ持ち合わせていないのです。反省反省☆

 

あ、ちなみに件の「ヴ」なんですが、消えてしまうのはあくまで「国名表記」のみであって、普段の生活には出てきても全く法的に問題は無いです。という訳で、前回の主張は恐ろしいほど意味の無いものになりました。内緒の話をする時に「絶対に言わないでね」という言葉ぐらい意味の無いものになりました。

 

 

という訳で、「ベートヴェン」に関わる音楽の話。

僕は、音楽が大好きです。疲れた時なんかは部屋を真っ暗にしてヘッドホンで音量全開でクラシックを聴く時もあります。色々なクラシックを聴いてきましたが、まぁ、やはり「第九」は素晴らしい作品だと思うのです。

年末年始なんかどこ行っても狂ったように流れているので、「蛍の光」ぐらい日本人にとって馴染みのある曲だと思います。

 

この「第九」、合唱が入っていることで有名で、いわゆる一番有名であろう部分をサビとするならば、これほど有名なサビも無いだろうってぐらい有名です。なぜクラシックにしてあれほど有名になったのかを考えてみると、様々な要因がありそうですが、そのサビ部分が短くて、しかも繰り返しが多くて、明るい雰囲気、という商業音楽にとって大変使われやすいという側面もあるかと思います。

 

全体として「第九」は大体1時間ぐらいの編成で、僕は通しでしか聴かないです。なぜなら、音楽全体がきちんとしたストーリーになっていて、それが一番しっくりくるからです。しかし昨今の短い部分をむりやり切り取って、何回も狂ったように流すという、ある意味サブリミナル的な効果を狙ったものはいかがなものかと、音楽愛好家として思うのです。

 

人間は無音であることを嫌います。コミュニケーションをとる場では、必ずと言っていいほど音楽が流れています。無音の状態だと喋りにくくなるもので、電車が動いている時には喋っているのに、電車が止まってエンジン音が静かになると喋らなくなるような時ってないですかね?

 

その逆もまた然りで、やり過ぎるととんでもなく邪魔になるものも音楽です。

例えば、僕は良くブックオフに行って、ブログの為に毎日コツコツと情報を仕入れるためにジョジョの奇妙な冒険を読んでいるのですが、そこでかかっている音楽が非常にしんどい。特に、「ブックオフセレクション」なるものがしんどい。何回も何回も同じ曲がかかるので、その曲を嫌いになってしまいます。このおかげで、「いきものがかり」は確実に嫌いになりました。もう、全部嫌い。「エール」されても、全然元気にならない。

 

という訳で、散々詰め込まれたら、逆に嫌いになる、勉強しなさいって言われたら勉強が嫌いになるみたいなもんで、意図した結果とは逆のことが往々にして起こるものです。

 

 

さて、ベートーヴェンですが、映画化もされたこともあり有名な話で、苦難の人生を送りました。彼が一番苦手としていたのは「パンの為の音楽」、いわゆる商業音楽を作ることだったそうです。稼ぎの為とはいえ、苦しかったみたいです。更に、人にも騙され続けて、極貧の生活を生涯にわたり送りました。

 

これは驚くべき事実ですが、彼が「歓喜」をテーマにしようとして、そして実際にあの「第九」が出来るまでには、実に30年以上かかっています。他にも素晴らしい曲はあるのですが、ベートヴェンはまさにこの「第九」を作るためにこの世へ送られたと言っても過言では無いでしょう。

 

この「第九」、色々批判はあったものの初公演は大成功で、ベートヴェンは「楽聖」として称賛されました。しかし、3回目の公演辺りから飽きられてしまい、結局彼の死後になって、「第九」の評価が確立されたと言えます。

 

現実は大変厳しいもので、彼は常に貧しく、損をし、最後は極貧の中で最後まで信じていた人にさえ裏切られ死んでいきました。ベートーヴェンは、自分の全エネルギーを音楽の為に使い、そして音楽の発展に貢献したのです。

 

僕は思うのです。自分の今持てるエネルギーを用いて打ち込むものは何であれ崇高なものであると。そして、たとえ世間から評価されなくとも、そこには一種の聖なる輝きがあると。

 

 

思い出されるのが、友人のK君。

大学の同級生だった彼は、大学時代、良く一緒に遊びました。彼の家は大学の近くにあったので、授業が終わったら彼の家に遊びに行くことも良くありました。

 

そんな彼が大学の時にはまっていたのは、パチスロ、風俗、エロゲーの、堕落三本柱。特に僕が彼の家に遊びに行った時には良くエロゲーを二人でやっていました。僕はあまり二次元の方には興味が無かったので、エロゲーを持っていませんでした。ですので、エロゲーって結局ヌけるかどうかだろ、みたいな考えだったのですが、彼は違いました。

 

 

「なぁ、ゆーすけ。お前、エロゲーってただの性処理のツールだと思ってるだろ?」

 

 

 

「うん。実際そうなんじゃないの?」

 

 

 

「ある一つの側面においてはそうかもしれない。」

 

 

「ある一つの側面においては。」

僕は彼の言葉を確かめるように繰り返した。

 

 

「そう、性処理という側面においては、エロゲーは実際には向いてないんだ。選択肢を選ばなければならない、一度クリアーしなければ自分の好きなシーンを繰り返し見られない。これほど、目的を達するのに不都合で面倒なことはないだろ?」

 

 

確かにそうかもしれない。そう思っていると、K君は更に続けた。

 

 

「一つの側面しか見れないやつはハッキリ言ってバカだ。ニーチェの『神は死んだ』っていう言葉の一つの側面のみを取り上げて批判している聖職者のようにね。」

 

 

「なるほど、つまり君は様々な意味を見出しているわけだ。」

 

 

「いいかい、ゆーすけ。エロゲーは一つの作品、哲学とも言っても良いものなんだ。そりゃあ駄作もあるさ。学食の肉の入っていないビーフカレーのようにね。でも、世の中はそれだけじゃない。銀座で食べるようなカレーも存在する。同じようにエロゲーにも、ダンテの神曲に勝るとも劣らない作品があるんだ。そして、大抵の場合、そういう作品は音楽が素晴らしい。」

 

 

段々と白熱するK君。彼の手はぎゅっと握られ汗ばみ、そして目の前のパソコンの画面には先程から彼が最高の作品であると太鼓判を押したエロゲーのOPが繰り返し流れている。

 

 

「なるほど、確かにこの音楽は何回聴いても不快にならないね。それでいて、切なさもどことなく感じるよ。」

心の底からそう思って、僕は彼の話に同意した。

 

 

「いや、ゆーすけはまだわかっていない。それだけじゃただの一つの側面だ。大切なのは、トータルで見ることなんだ。そして、俺の魂を揺さぶるかどうかなのさ。『精神から炎を打ち出さなければならない』ってね。」 

 

 

「K君・・・。」

 

 

K君は、明らかに一つの境地に達していて、湖のような静けさをたたえていた。

そして、彼は静かにEnterキーを押した。

 

 

と、まぁこのように、エロゲーであってもそこに深く打ち込んでいるK君は聖なる輝きを確かに放っていたし、ある種の崇高さがそこにはありました。

その後、エロゲーにはまりすぎたK君は「サークルの女の子との会話が全部二択で出てくる」なんて、味なことを言ってまして、更に留年したんですけどね。

 

 

 

音楽とは、素晴らしいものです。僕自身も以前は音楽に関わる仕事をしていましたが、今後も音楽とは常に関わりたいなぁとは思っています。

そして、作品を作る時があれば、それは精神から炎を打ち出すような作品を作りたいです。

 

ベートヴェンや、K君の境地に達するためには狂気の中にどれだけ長い時間身を置き続けられるかどうかでしょう。

 

その狂気の中に身を置き続けて、周りの世界の解釈の仕方がガラッと変わった時に、僕は最高の作品を作れるのかもしれません。そういう意味では、僕はまだまだです。まだまだ狂気が足りない。

 

 

僕も、文章でも音楽でも何でもいいから後世に残るような仕事がしたい!!もっと狂気の中に身を置くべきだ!!!

 

 

というわけで、エロゲーにめちゃめちゃはまりたいと思います。

 

 

 

崇高な作品を作るためです。

出来ない卒業と桜

今週のお題「桜」

 初めてのお題にチャレンジです。前回のお題の「卒業」も絡んでいます。それではどうぞ。

 

 

 

「良い日もあれば悪い日もある。だから、毎日真剣に生きなさい。大丈夫よ。」

 

 

 

厳しい冬を乗り越えて段々暖かくなってくると、心まで穏やかで暖かいような気がする。突き刺さるような冬の陽ざしが、身を包む柔らかな春の陽ざしに変わり、体の奥まで暖かさが染みこんでくる。

でも、そんな春の陽ざしが切ない気持ちを掻き立てる時もある。それは例えば人生の節目を迎えようとしている時だ。いわゆる「卒業」である。

永遠に続かのように思われた生活に終止符が打たれる。それは本当に容赦がなく、そしてむりやり打たれる終止符だ。

 

あの時の僕たちは、表面では強がっていても、将来に対する漠然とした不安を胸に抱えながら生きていた。

たとえ今の学校を卒業したとしても自分の人生が続いていくことには変わりはないし、今の友人との関係が切れたとしても、また新しい友人が出来るだろう。そんなことを思っていても、卒業の前は不安な気持ちでいっぱいだった。

卒業の日が近づくと、妙に心の奥がざわざわし落ち着かなくなる。春のうららかな陽気が逆に自分のこころのさざめきを掻き立てる。これで、最後なんだな。そう思えば思うほど切なくなる。そして、僕たちは卒業というイベントに向かって背中を押され続ける。こちらの意思とは関係無く。

 

 

僕は、中学を卒業すると同時に地元を離れ、親元を離れ、東京の高校に進学した。だからこそ、中学校の卒業は自分にとって何となく特別で、学校や友人は勿論、今まで慣れ親しんできた家族とも別れなければならない時だった。別れると言ってもおおげさで、もちろん電話すれば友達は出てくれるだろう。家族だって、帰ればいつだって迎えてくれるだろう。

 

しかし、僕はそれから先の人生で、どうしても地元の友人との間や家族との間に存在する、居心地の悪さを感じないわけにはいかなかった。何日も使われていなかった自転車を、無理矢理動かした時に出る軋んだ音のような、そういった類の居心地の悪さだった。

 

僕の母親は子供にはとんでもなく優しい人で、お節介な人だった。長期休みに入って実家に帰る時はいつも駅まで迎えに来てくれていたし、腕をふるって料理を毎日作ってくれた。

「ねぇ、何食べたい?」

母はいつも僕に聞く。

 

「そうだなぁ、から揚げとてんぷらと、それから・・・」

 

「正博(僕)がそうやって言ってくれるから、本当に作り甲斐があるわ」

 

なんて会話が交わされていた。母は本当に優しい人だった。

でも、普段の何気ないやり取りの中で、やはり居心地の悪さを感じてしまっていた。僕の求めていたものは「普通の親子」関係だったのだ。別に特別なおもてなしをしてくれなくていい。僕が家にずっといた時と同じように接して欲しかったのだ。

それは、もちろん地元の友人に対してもそうで、わざわざ時間を作ってくれたり、そういうのは有難かったのだが、その行為はむしろ逆に僕の居場所はここには無いということを、僕に否応なしに突きつけた。

そのことが、僕を切ない気持ちにさせた。

そして、長期休みが明けた後で、高校の寮に帰らなければならないとき、また切ない気持ちになるのだ。

僕の居場所はどこにいっていまったのだろうか?そんなことを考えていた。

 

ただ、母はいつもそんな僕を励ましてくれていた。そして、母自身も僕との親子関係で悩んでいたのだ。そのことは、僕にとってささやかなエールとなっていた。

 

 

「卒業」は高校生の時から数えて2回した。高校、大学である。大学の時ほど感慨深くない卒業は無かった。卒業するという感覚が驚くほどなかったのである。別に離れ離れになって寂しくなる友人なんていなかったし、家族も離れて長い時間が経っているので、何かから卒業したという感覚が全く無かった。だから、一切寂しくなかった。というより、早く大学からは去りたかったので、やっと卒業か、ぐらいな感覚であった。

 

そして、僕には夢があった。とてもキラキラしていて、それを掴むためならどんなことだってしてやると思っていた。だから、大学の卒業後は充実していた。お金が無くてゴミを漁った日もあったが、毎日が楽しくて仕方がなかった。

 

しかし、僕の人生に暗い影のようなものが、突然目の前に降りてきた。大学を卒業してから2年後のことだ。

 

母に転移したガンが見つかったのだ。まさに晴天の霹靂というやつで、信じられない気持ちでいっぱいだった。ただ、ガンの恐ろしさが全く分かっていなかった僕は、きっとすぐに治るのだろうと思っていた。普通の病気と同じように。そして、手術も成功した。だから、治ることを信じて疑わなかった。

 

でも、僕の予想に反して母の身体は全く良くならなかった。母は日に日に弱っていった。病院による標準治療は打ち切られ、身体の衰弱も激しく、挙句の果てにはガンが骨転移することによって脊髄が潰れてしまい、母は歩けなくなってしまった。

そうなると、介助者が必要になるのは言うまでもない。

 

僕には夢があった。もう少しで手が届きそうだった。いや、掴みかけていた。でも、何となく母と一緒にいられる最後のチャンスだと思い、僕は母の介助をすることにした。僕は握りしめていた夢を放した。手のひらからすり抜けていった輝くような夢は、何年も放置された空き家の中にかけられている、色あせた古びたカーテンのようにしか見えなかった。

 

思えば、母とこうしてずっと一緒にいるのは中学生以来だった。もちろん、母は病気で体が不自由だったから、中学の時とは状況は違っている。でも、僕はこの時に思ったのだ。

 

やっと、僕が求めていた「普通の親子」関係を取り戻せた、と。

 

母は病気のせいでストレスが溜まっていた。僕も介助疲れでストレスが溜まっていた。お互いにやりきれない気持ちをぶつけ合った時もあった。でも、それがまさに僕の求めていた親子関係だったのだ。

 

普通に毎日挨拶をして、ちょっとしたことでケンカしたり、時には励ましてくれたり。そんな普通のことを僕は求めていたのだ。

 

ただ、想像以上にガンは手強かった。僕が治療をするわけでは無いのだけれど、全力で介助してもどうしようもなかった。母の手を握るたびに、僕は哀しい気持ちになってしまった。それは、枯れ果てた枝のような手だったのだ。僕が子供のころ、色んな料理を生み出していた活気に溢れていたその両手は、忘れ去られた冬の木の枝のような手になってしまっていた。

 

闘病中、母がいつも言っていたことがある。

 

 

「良い日もあれば悪い日もある。」

 

 

そうやって、自分にも言い聞かせていたようでもあるし、僕に伝えてくれていたのだとも思う。

 

 

ある日のこと。

 

 

「あのね、お母さんね、親子っていいなぁー、って最近思うの」

 

母は突然言った。

僕は心底動揺してしまった。

 

 

「いきなりそんなこと言ってどうしたんだよ、やめなよそういうこと言うの」

 

 

僕は、何とか動揺を隠そうとした。

 

 

「アタシ、子供欲しいなんて思ってなかったの。元々子供嫌いだったし」

母は続けた。

「でもね、正博が産まれて、変わった。子供ってこんなに愛しいものなんだって思ったの。いつも私がお世話していたのに、今度は私がお世話される番になっちゃって、最初は慣れなかったけど、こうやって命は続いていくんだなーって感じるの」

 目を閉じながら、母はそう言った。

 

「まぁ、どうでもいいけどさ。早く病気治して元気になろうよ」

僕は、そう応えるだけで精一杯だった。

 

 

母が寝静まった夜、僕は自分の気持ちが抑えられなくなり、そっと外に出て、そして全力で走った。僕は逃げたかったのだ。この現実から。この状況から。でも、それはどんなに走っても、後からぴったりとついてきていた。まるで、燃え盛る炎に照らされて出来た影のように。その影は、僕が産まれた時からピッタリと後ろに張り付いていたかのように息を潜め、そして突然姿を現し、気が付けば僕はすっかりその影に絡まれて、僕の人生というものは動きが全く取れなくなってしまっていた。

 

 

季節は過ぎ、冬に入りかけの時だった。

いつものように僕は母の車いすを押して、外へ散歩に出かけた。外には一年に一度訪れる冬の匂いがほのかに香っていた。陽ざしは、冬の眩しさをおだやかに放っていた。

 

 

「ねぇ、悠介。桜はまだなの?」

 車いすに乗った母は言う。

 

「いや、まだでしょ。だってまだ年も越えてないよ」

 

 

「そっか。桜じゃなくて他の花で満足しなきゃね」

 

 

「桜が咲くまでなんてあっという間だよ」

僕は答えた。

母は花が大好きだった。実家の庭には、母が大事に育てていたバラやパンジーやチューリップが、春になると咲き香っていた。

 

 

僕は、ふと思った。

 

母がいなくなった世界で僕は生きていけるのだろうか、と。

 

 

近いうちに母が死んでしまうことは分かっていた。それは母も分かっていたんだと思う。桜の季節まで母の身が持たないことはきっと分かっていた。お互いに。

 

僕は、母の死を受け入れられそうになかった。でも、残酷にも時は進み続けるし、母の中に生きている生物は、母の体を確実に蝕んでいる。

 

 

「良い日もあれば、悪い日もある」

母は繰り返し言う。

 

 

そうだけど、僕には母がいなくなった世界では「良い日」があるとは思えなかったのだ。

 

 

「ねぇ。良い日もあれば悪い日もあるわよ」

母は、僕の心を見抜いたかのように言った。

 

「良い日もあれば悪い日もある。だから、毎日真剣に生きなさい。大丈夫よ。お母さん、何も心配してないわ」

 

 

 

それから、およそ3週間ほどで母はこの世を去った。

どんなに望んでも、この世ではもう会えないのだ。僕の世界が色を失い、そして、終わってしまったように思えた。

母がいなくなっても世界はいつも通り規則正しく進んでいくし、時間は止まらない。でも、僕の時間はその時から動いているのだろうか?

もちろん、新しい出会いもあったし、他の道に進んだりもした。でも、何か、喉の奥に骨が刺さっているような引っ掛かりを心に抱えたまま生きている気がしてならない。 

思えば、それまでの別れは本当の別れではなかったのだ。いくら会えないとは言っても、死んでいない限り会いにはいけるのだ。

 

「卒業」は終わりと始まりを含むものであって、母の死に関しては終わりしか存在しなかった。

 

これがドラマとか映画なら、霊的なものになって母が現れてくれたり、こちらから黄泉の国にでも出向いて行けるのだろうが、残念ながら、この世の英知を集めてもそれは叶わない。

 

現実とは恐ろしいほど残酷だ。

 

 

母がいなくなってからもう4年が経つ。さすがに母がいない現実というのを受け入れ始めてこられたように思う。

でも、僕はきっとまだ母から「卒業」はしていない。「卒業」を迎える時はもしかしたら無いのかもしれない。だって、そこには「始まり」は無いのだから。

 

 

 「良い日もあれば悪い日もある。だから、毎日真剣に生きなさい。大丈夫よ」

 

 

桜を見ると、こんな母のお別れの言葉が聞こえてくるような気がする。

 

 

そして僕は、それからある程度成長したのだと思う。

こうして、母との思い出をせっせと文章にして書ける程度には。