パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

無駄こそ正義

音楽は人々の精神から炎を打ち出さなければならない

~べートーヴェン~(ロマンロラン著 『ベートヴェンの生涯』より抜粋)

 

この度、世界から「ヴ」が消える事になった。さしたる出来事でも無いような気もするのだが、自分で「ベートヴェン」と書いておいて、意外と身近な言葉であることに気付いた。何となくだが「ベートベン」はダサい気がする。どう直そうと頑張っても「アイスキャンディー」を「アイスキャンデー」と言ってしまうお年寄りと同じぐらいダサい気がする。

 

それにしても「ヴ」を使いこなせるだけで、「俺、外国語の読み方に忠実にやってるぜ!かっこいいだろ」的な感じがして癪に障るが、確かにかっこいい気もする。学校の英語の授業で輪読をするとき「I saw Ben yesterday.」の部分を「アイソウベンイエスタデー」と読むか「アイソウヴェンィイエスタディ」と読むかで、クラスの注目度が変わることは、皆さん経験積みのはずだ。

 

日本語では「バビブベボ」にあたる部分が、変更になるということだ。「ヴァヴィヴヴェヴォ」が無くなるのだ。

 

これは大変困る。特に、日本におけるヘビーメタルデスメタルのシーンでは死活問題とも言える。

 

ヘビーメタルデスメタルのシーンではよく「デスヴォイス」なるものが使われる。日本での先駆けは「Dir en gray」だろう。このデスヴォイスを使うと、異様にステージが盛り上がるのだ。歌の途中ではもちろんのこと、MC中でも「ウヴォォォォォォい!次行くぞ!!!!ヴェノォォォォォォムフロォォォォォムザヘェェェェェル!!!!ウヴォォォォォォ!!」みたいな感じで、それはそれは盛り上がるのだ。

どんなものか気になる人は、ぜひ「Dir en gray」か、「Slipknot」調べてみると良い。

 

さて、この「ヴァヴィヴヴェヴォ」が無くなったら、デスヴォイスはどんな感じになるのだろうか?まずは「デスボイス」になるし、上記のMCは「うボーーーーい!!次行くぞ!!!ベノーーーーーームフローーーームザヘーーーール!!!うボーーーーーー!!」みたいになってしまう。

 

控えめに言ってもカッコ良くない。いやダサい。なんか、原始人の叫びみたい。

 

 

という訳で、今頃日本のヘビーメタルデスメタルのシーンにいる人たちは、恐怖におののいている事だろう。ファンが減ることは火を見るより明らかである。

他にも「ヴァイオリン」は「バイオリン」、「ヴェトナム」は「ベトナム」、「ウヴォーギン」は「ウボーギン」と、何となくパンチ力に欠ける感じは否めない。

 

何故「ヴ」が世界から消えてしまうのか。その理由は至極簡単で「馴れてないし、発音しづらいから」である。調べてみると「べトナム」は「ヴィエトナム」だったらしい。他にも「アルゼンチン」は「アルゼンティン」、「チュニジア」は「テュニジア」だったらしい。ということは「おちんちん」は「オティンティン」が正式名称だったということだ。

 

平成15年に国名に関する大きな改革を断行したらしく、「ティ」は「チ」に変わったらしい。そんな改革するより、ベーシックインカムを早くして下さい、と突っ込みたくなるところだが、ここは抑えよう。

 

言葉というのは不思議なもので、文字一つ変えるだけでも随分と印象が変わってしまうものだ。それは上述した通りで、皆さんも十分にお分かり頂けたと思う。

 

 

逆に全てを「ヴァヴィヴヴェヴォ」にする発想はどうだろうか?「ヴ」を使うだけで、雰囲気がガラッと変わる言葉もある。「ビジネス⇒ヴィジネス」、「ベンチ外⇒ヴェンチ外」、「便秘にはコーラック⇒ヴェンピにはコーラック」。

 

いかがだろうか?もの凄く重厚感が増したし、便秘なんてちょっぴり恥ずかしくてセンチメンタルな言葉でも、隠語のように使うことが可能になるのだ。

 

何でもかんでも利便性を追求するのはいかがなものかと思う。そうだ、僕たちはいつの間にか利便性という鎖でがんじがらめになっているのだ。利便性は生産性と大いに関係がある。利便性が高いというということは、生産性も高いということなのだ。その生産性の対極にいるとも言ってよい僕らパニック障害を患った人間は、声を大にして利便性のみを追求する文化に対して反対の声を上げよう。

おっと、申し訳ないリヴェン性だ。文化もヴン化だ。

 

無駄だと思われていることこそが、文化の発展の礎となるのだ。

 

 

 

という前置きを書いて、冒頭のロマンロランが語ったベートーヴェンの話から生活において無駄なものである音楽の話を今日は書こう、僕のブログを読んでくれる数少ない読者の方々にお届けしようと思ったのだが、前置きを書きながらヒートアップしてしまった。

 

 

というわけで、次回、ベートーヴェンの話をパニック障害と絡めて書きます!!!

乞うご期待☆

 

 

深淵なる思索の果てに産声をあげた物でも、度が過ぎると全くの無駄になってしまうものだ。

前置きをヒートアップさせてしまった僕に対する戒めとなった。

 

 

追記

なお、「ヴ」が消えるのは国名だけだそうです。

「才能」を感じた日

僕は「才能・天才」という言葉が嫌いである。

 

それは多くの場合、他人を妬むときに使われるからだ。「いいよな、あいつは才能あって・・・。」、「やっぱ天才には敵わないなぁ・・・。」などなど。逆に何かしらの形で結果を出していたり、頭一つとび抜けている人はこういった類の言葉を使わないものである。こんな言葉を使うのは「俺は天才だ~~!!」なんて声を大にしているアミバだけである。

 

僕は、「才能とは、その物事に対して没頭できる能力」と考えている。例えば、もの凄く自分は努力して勉強したのに涼しい顔しているあいつには絶対に適わない、何て思ったことないだろうか?それは意識の違いで、自分が「努力」だと思っていることは、頭のいいあいつにとっては「努力」でも何でも無いのである。あいつにとってはただの日常なのだ。

 

そうは言っても、やはり「才能・天才」ということをどうしても意識せざるを得ないときがあるのも事実であろう。

 

実は僕は以前、ミュージシャンとして生計を立てていた。まぁ、ミュージシャンといっても作曲などはせず、アーティストのバックバンドとして活動していたのだ。他にバイトをしないでいいくらい稼げてはいたので、まぁまぁ忙しかったのだが、やはり海外のミュージシャンや、それこそクラシックなんか聞いていると、どうしても「才能・天才」ということを考えてしまうこともあった。自分では全く思いつかなそうなアプローチを子供の時から既にできてしまう。そんな事実を目の当たりにすると、逃げたくもなった。

 

今、自分はこうして文章を基本的には毎日書いている。書き終って、以前の投稿記事など見てみると、自分の文章の拙さに身もだえする。それでも、直す部分を見つけ、修正し、どうしたら面白くなるかを考え、書き直す。「大丈夫、俺は音楽で飯食えてたんだから、きっと文章も諦めなければ上手くなるさ」なんて、自分を時に励ましながら。

 

 

しかし、先日、圧倒的な才能を誇る文章、キャッチコピーを発見してしまったのだ。

一応断っておくが、これから先はアダルトな内容になるため、そういうのを見たくない方は、ここでそっとブラウザを閉じて欲しい。いいな、僕は忠告したぞ。

 

 

 

さて、続きに戻ろう。

先日、僕は旧友(K君)と電話していた。K君は大人のお店が大好き。色んなお店に行って、女の子からメッセージカードを貰えば、それをカードケースに大切に保管し、本当にお気に入りの女の子のメッセージカードは財布にお守り代わりとして入れておく、という筋金入りの風俗マニアだ。

 

「いやー、ゆーすけさ、おっパブって知ってる?」

 

 

「あぁ、知ってるよ、行ったことないけど」

 

 

「最近さ、俺凄く通っていて、アイラちゃんがいて。くぅー、聞いてくれよ。俺、興奮しちゃってさ。何ていうか、暖かいっていうかさ。わかる?」

 

 

全くもって分からないが、こいつ文章が成り立たないほど興奮してるなってことは分かった。パニック障害の僕のことを、全く気にもかけずに畳みかけるように話しまくって、最後は「ごめん、お母さんがご飯って呼んでる」なんて、大人なんだか子供なんだかわけのわからない最後で締めくくられた。一応彼の名誉の為に言っておくが、K君は割と大きな企業に就職していて、年収もかなりある社会的に地位のある人間だ。全く、世の中は不条理なものである。

 

後日、何となくその会話を思い出し、東京でおっパブってどんな店があるんだろうと思って調べてみた。どんなシステムになっているのか興味もあったのである。

 

調べてみると、なかなか一度行ってみたくなるような店名が出てくる出てくる。風俗の世界は競争が激しい。ミュージシャンをやっていた関係上、夜の世界の友人も多いので、友人の風俗嬢やキャバ嬢から、いかにこの業界が大変かこんこんと話されたこともある。自分の店は他の店と比べてこんなに可愛い子が揃っている。こんなに価格が安い。血みどろの戦いが繰り広げられている中で、僕は才能の塊とも言ってよい店を発見してしまった。

 

 

 

「PINAL FANTASY ~見つからないものを、見つけるために~」

 

 

 

天才だ。これは「モ~ミヤン」以来のヒットだ。句点でタメを作る辺り最高だ。しかし、この店の真骨頂は店名ではなく、ホームページに存在する。

まず、風俗のお店は大抵の場合可愛い子を売りにする。その子をトップ画面に持ってきてアピールするのが常とう手段である。

しかし、この店のホームページには女の子の画像が一切無い。出てくるのは「猫」の画像だけである。

「あみ・・・猫」

「れな・・・猫」

「みお・・・猫」

といった具合だ。

 

強烈だったのは、

「アンリ・・・ティエリ・アンリ

 

気になる方は、ぜひホームページを見よう。もう、逆にこの店に行ってみたくなる。素晴らしいマーケティングの手法を見せつけられている。

 

 

 

しかし、しかし、僕は文章を書いている。当然、文章に目が行く。大抵の店の場合、ホームページのトップ画面には店長かなんかが、「毎日お疲れ様です!仕事が憂鬱で仕方ないそこの貴方、今日はハメを外して遊びに来ませんか?今日もかわいい子が待ってますよ~☆」なんて、紹介文を書いている。色んな店のホームページを見たところ、どこの店もこういった類の紹介分の内容は同じで、様式美的な感じでさえある。

 

 

だが、この店の紹介分は一味違う。

 

 

 

 

 

「師走のテーマは・・・【こっさり!】(こってり+あっさり)のまさしく【ウマニッシモ】な衝撃!!

☆【アインザッツから始まる至極のオッパイワールド!・・アウフタクトから始まるブチアゲの空間!・・・【アタッカ】のような見紛うような次の禁断のオッパイと変わりつつ!!・・・【イン・テンポ】の様に興奮冷めやらぬまま、まるでカンニングブレス】を体現したような接客が・・・もうやめましょう!!

まずはご来店いただき当店のまさしくお口の中がベートーヴェン!!】のサービスを堪能してください!!♡By♡ピンキーモンキーラブ(^^)/!

原文ママ、引用元PINAL FANTASY HP)

 

 

 

もう、完全に才能の世界である。音楽の専門用語と風俗を見事にマッチさせた文章、素晴らしいの一言だ。この「ピンキーモンキーラブ(^^)/!」なる人物、一体どれだけの経験を積めばこれだけの文章を書けるようになるのだろうか。いや、これは「才能」だ。僕があれほど忌み嫌っていた「才能」という言葉を使ってでしか形容できない。是非一度、お会いしてみたいものだ。パニック障害じゃなければ。

 

認めたくはないが、「才能」というのは確かにあるのかもしれない。こんな文章、到底僕には書けない。色んな意味で。

 

いや待てよ、この言葉を書いている今現在の僕の心にあるのはピンキーモンキーラブに対する嫉妬心だ。

そうか、僕が嫉妬心で満ち溢れた人間だから、自分への戒めの為に「才能・天才」という言葉を使わないようにしていたんだな。。

 

 

また一つ、大切なことを学んだ。ありがとうK君、ピンキーモンキーラブ。

 

 

後日、K君からlineで連絡が入った。

「ゆーすけお疲れー!今日もアイラちゃんと、ムフフでザッツオールって感じだったよ(^^)/

 

お前がピンキーモンキーラブなんじゃねぇのか。

良書の条件

良書とは、須らく自らの視野を拡大してくれるものである。

 

 

本好きの僕が心に留めている格言だ。今の世の中、様々な文章が情報で溢れている。今の若者は本を読まなくなった。活字が大切にされなくなった。そういった嘆きがあちこちから聞こえてくる。

なるほど、半分は合っていると思うが半分は間違えている、そう思うのだ。確かに本は以前に比べたら読まれなくなったかもしれない。しかし、インターネットの発展でスマホ一つあれば重い本を何冊も持つことも無く、色んな本が読める。

 そして何より、全員が気軽に発信者になれる時代でもある。インターネットが登場するまでは、素人が情報発信をすることは極めて難しかったと言えるだろう。記者になるか、作家になるか。または新聞に投稿するか。それぐらいしか方法が無かったはずだ。

 しかし、現在はブログやSNSによって誰もが簡単に発信出来るようになった。その結果、文字が溢れるようになった。恐らく、文字に触れる機会、一日に文字に触れている量なら、以前とは比べものならないほど増加したのではないだろうか。

 

 

だが、懸念される事項もある。

それは、触れられる文章の「質」の低下だ。考えてみよう、「本」で出版されるということは、ある程度の信頼に裏打ちされているということだ。学術系の本はもちろん、怪しい自己啓発本だって、その世界である程度成功した人が書いている。もし僕が「絶対売れる!20の法則!」とか、「きっと未来は大丈夫!潜在能力を開花させる12の大切なルール!」なんて本を書いても、すぐに出版社へ返送されるのがおちだろう。

 だが、ブログやSNSの世界ではそんなことは起きない。誰が何を言おうと、法に触れない限りは自由なのだ。そうすると、あれよあれよという間に文章が溢れることになる。誰が見てくれようが関係ない。「たかやの気ままな生活ブログ」なんてタイトルがあったとしても、大抵はスルーされてしまうだろう。しかし、それでもいいのだ。何故なら、自分が書くことによって満足するなら、文章を書く目的は達成されているのだから。

 そして、アフィリエイトなどで稼げる方法が確立されると、一気に「情報特化型」の記事がありふれるようになる。紹介記事は、小説に比べるとうんとハードルが低いので、勉強さえすれば多分書けるようになるのだろう。そして、「ブログで月間20万円達成!」なんて甘い甘言に惑わされて、夜電灯に群がる虫のごとく人は集まる。

 かくいう僕もその一人で、「マジ月10万なんて俺なら楽勝じゃねwwwぶふぃww」なんて思いながら別ブログで紹介記事書いても、待てど暮らせど全く金にならない。というより誰も来てくんない。

 

おかしい、他の人はブログ初めて一ヵ月でPV2000とか言ってるのに、僕のそのブログでは月間PV数0だった。

これは、何か陰謀が働いているに違いない。僕のブログにアクセスさせないようにGoogleが何かセキュリティを敷いてるのかもしれない。そうか、それほど危険な存在だったのか僕は。きっと、何か世の中にとって都合の悪いものを発信してしまったのかもしれないな。さすがGoogle。いい仕事してますわ。負けたよ、おめーには。

 

 

驚異的に少ないというより0のPV数に肩を落とし、ありふれた、いわゆる「特化型ブログに」何気なく目を通す。

 

 

「PV数を増やしたいなら、毎日更新することが大事です。そして、わかりやすい言葉で書きましょう」

 

 

なんて、ありふれている文章なんだ。そんなことならとっくにやってるよ、くるくるぱーかお前は、なんて毒づく。

 

さて、PV数0だけど更新しますかー、今日は何を紹介しようかなー、なんて思いながら、そのブログのHelpを見てみると。

 

 

 

「記事は最初は下書きの状態で保存されます。」

 

 

 

なんてこった!僕の練り上げた記事は1つも公開されてなかったのだ。その真実に震えが止まらなかった。もう、むきー!ってなってそのブログを全面消去しました。 

しかし、記事の投稿前は必ず自分でチェックを入れること。こういう新しい視点が僕に追加された。

 

 

良書とは須らく自らの視野を拡大してくれるもの。

 

 

最もありふれている「Help」が今の僕にとっての「良書」だったのだ。

ネットでお仕事

今日も日課である散歩をしていました。僕は、日の暖かさを感じながら、いつものスーパーへゆっくりと向かっていました。今日は何を買おうか。何か旬の野菜とかあったら買ってみるかなどと、漠然と心に描いていました。

 

品物を手に取り、レジへと向かいます。頭の中で、1500円超えるかどうか計算しながら並びます。レジで言い渡された金額は1730円。くそ、少しオーバーしてしまったな、なんて自分を少し毒づきました。

 

買った物を袋に入れ、ゆっくりと家に向かいます。

 

 

「もうすぐ桜の季節だなぁ」

 

 

そんなことを思いながらふと別の考えが頭を過ぎります。

 

 

「あれ?そういやパニック障害だったっけ?」

 

 

そう、僕は外に行くときに必ず飲むようにしている頓服薬を飲むことを忘れていたのです。

しかし、レジに並んでいる時も、道を歩いている時も発作は起こりません。これはいよいよ良くなってきているなと気持ちが明るくなりました。

 

少し明るい気持ちになりながら家に戻り、パソコンの前に座ります。今の自分でも出来ることを少しでも増やすためにネットへと身を投じます。ツイッターのチェック、ライターの仕事を次々とチェックして目ぼしいものを探します。ライターの仕事には様々な依頼があり、中には「創業について」なんて絶対素人に書かせちゃダメだろみたいな案件も存在します。

 

 

これは大丈夫なのだろうか。もし、一回も創業したことが無い自分が

「創業は絶対におすすめです。なぜなら1円からでも会社は作れますし、自分の今やっていることに対して承認が得られれば、経費として様々なものを賄えます。今や会社を持っている人は日本で400万人以上。やらない手はありません!!」

なんて書いてしまって、実際にそれを見た人が

 

 

「おお、すげー!自分も会社持ってみよう!」

 

 

みたいになって、すぐに倒産してしまったらどうするのでしょうか?そして、その結果夜逃げもしなくちゃいけなくて、自分の家の床を掘って逃げようとしますが、途中で自分の赤ちゃんが泣いてしまって、「お願い、今だけは泣かないで・・・」なんて自分の奥さんがブルブル震えることになってしまったら、記事を書いた自分にも責任があるんじゃないのか。いくら稼ぐためとはいえ、無責任なことは出来ない!!そうだ、僕は誰も傷つけない稼ぎ方をするんだ!!

 

ぼくの良心が2秒ほど痛んで、その記事を書き始めます。まぁ正直、創業ってわけじゃないんですが、以前は個人で仕事を取っていてその辺の知識はあるので、2時間ほどで記事を仕上げました。そして、仕事の後のコーヒーは旨いなぁ、なんて物思いに耽ってました。

 

 

 

仕事というのは、責任と信頼で成り立っているのかもしれない。そういう意味では、こんな素人ライターに信頼を寄せてくれる会社もあるのだなと有難い気分になりました。

 

 

しかし、仕事の後のコーヒーは旨い。

 

 

なぜ、自分がこんなライターみたいなことをやり始めるようになったのか。ネットで色々探すようになったのか。

 

思い返せば、自分の病気がきっかけです。なった当初は憎みまくっていた自分のパニック障害。症状が軽くなった今では、この病気で色んなことを学ばせてもらう機会が増えました。そう思えば、病気も悪いもんじゃないな、なんてことをコーヒーを飲みながら思っていました。コーヒーカップから立ち上る香りが僕をしばし現実の世界から引き離してくれます。

 

 

ピロロン

 

 

けたたましいメール通知の音が、僕を一気に現実の世界へと連れ戻します。

 

 

 

 

大変申し訳ありませんが、先程お送り頂いた記事は不採用とさせて頂きます

 

 

 

やっぱ、普通に働いた方がいいかもしんない。早く治れよ、パニック障害

 

ライターデビュー

来る日も来る日も情報を求めネットの海原へ。

未経験者歓迎の「web占い師」というエキセントリックな職業に目を奪われつつ、ネットで初めてでも出来そうなライターの仕事を探してみます。色々調べてみると初めてでも出来そうな案件が「クラウドソーシング」なるものに存在しているとの情報を掴み、その内の一つにアクセスして登録してみました。

 

いきなりそんなに沢山稼げるものなんてありやしません。それはそうです、初心者には基本的には案件は回ってこないものです。安い案件ばかりらしい。

しかし、2000文字ぐらい書いて1000円ぐらいならやってみる価値があるんじゃないか。何より、ライターとしての経験を積むことが最優先されるべきだからまず始めてみよう、そんな前向きな気持ちでいっぱいでした。

 

そして、記事の作成依頼の一覧を見てみると、割と専門性が求められそうなものから、今の自分でも書けそうな案件もありました。大抵は、口コミ記事やコラム記事の作成で、日本のどこにいても書けそうな案件でしたが、その中で

 

「福井の英語教室に関するまとめ記事」

 

という、もの凄くマイノリティな、誰が書けるんだこんなのみたいなものまで幅広くありました。

 

さて、まずは小手調べです。僕のライターとしての能力はどこまで通じるのか、僕の人生の積み重ねはどこまで通じるのか、試してみようじゃありませんか。オラ、ワクワクすっぞ。

 

その中で選んだのは「スポーツ」に関する記事。いいじゃないですか、「初心者にはぴったりそう!」なんて、暇を持て余した専業主婦のような独り言をつぶやき早速チェック。一口にスポーツと言っても野球から太極拳まで、様々ありました。その中で僕が選んだのは「ノルディックスキー」。実は僕は雪国出身で、幼いころはクロスカントリースキーをやっていたので、僕にとっては割と身近なスポーツです。

 

しかもこのスポーツを制したものは「キングオブスキー」と呼ばれます。これは、僕もこの記事を書けば「キングオブライター」になれるかもしれない。そして、僕の書いた記事を見て、担当者は「どひゃ~、す、すごい新人が現れたもんだ」なんて驚いて、ライターとしての専属契約を結んで、そしていつの間にかそれがライター会で有名になって、世界を飛び回るライターになって、金が湯水のようじゃわい、みたいな状況になるんじゃないか。そんな妄想を2秒ほどして、この記事を書こうと決意。

 

記事を作成するに当たって、色んな制約が設けられています。例えば、使わなきゃいけないキーワードが存在したり、文字数が指定されていたりするのです。きついように見えるかもしれませんが、制約が多いほど逆に文章は書きやすくなるもの。これは初心者にとってはありがたいです。この制約に沿って作ればいいのです。

 

よし、早速作成しよう!まずは記事のタイトルを決めます。制約は「初心者、女子、というワード入れてキャッチーで」です。突っ込みどころは多々ありますが、難なくタイトルを作ります。これは余裕かもしれない、僕にとっての天職かもしれない。そんな気持ちになりました。

 

そして、次に小見出しのタイトルをつけます。

 

制約は「ノルディックスキー、歴史、15文字以内、キャッチーで(ノルディックスキーの歴史とは?みたいなタイトルは禁止)」

 

これ、無理だろ。

 

いやだって、「ノルディックスキー、歴史」だけで11文字あるんですよ!?あと4文字でどれだけキャッチーにするか・・・。ここは最難関となりそうです。最有力候補であった「ノルディックスキーの歴史だっちゃ」も惜しく1文字オーバー。

 

よし、ここは倒置法でいこう。

 

「歴史♡ノルディックスキーの♡」

14文字。ここも、僕の溢れる才能で乗り切ります。いや、危なかった。いきなりライター挫折するところでした。

 

その後も幾度かの難関を越え、自分のボキャブラリーを存分に発揮し書き続けていきます。歴史やファッションも絡めて、記事が段々と出来上がっていきます。よし、このままいけばすぐに記事は完成だ、この記事を完成させて、晴れてライターデビューだ、そう思っていた矢先、次の指示が。

 

 

 

 

「この競技をやっている芸能人を3人挙げて、それぞれ記事にして下さい。(ただしスポーツ選手は除く)

 

 

 

 

終わった。ノルディックスキーなんてマイナーなスポーツやってる芸能人なんているのか?そりゃスポーツ選手なら知っています。3人なら挙げられます。でも、芸能人はかなり無理ゲーです。投稿には制限時間があります。その制限時間一杯使って調べたのですが、出てきません。おまけに「その芸能人がその競技をやっている写真を載せてください」なんて指示までありやがる・・・。

 

これは、完全に僕の実力が不足していた。結局僕の人生経験なんて、社会の厳しい荒波には打ち克てないんだと思い、涙を吞んで途中で終了。こうしてぼくのライターデビューは挫折したのです。

 

やはり、日頃からしっかり勉強してないとなかなか厳しいようです。しかも、時間単価に換算すると相当低い賃金ですので、ライターだけで食べていくのは本当に大変なんだと思います。しかし、僕はあきらめません。色んな道を模索します。レッツトライ☆

 

 

 

後日、あのノルディックスキーの案件がふと気になってサイトを覗いたら、その案件が消えていました。

 

あの難関を越えた猛者がいるのか。。

反省し、今日も文章磨き、知識磨きに取り掛かるのでありました。

Webでの仕事を求めて

随分寝た。

心なしか、頭が重い気がする。今日は曇天に違いない。カーテンを開けると思った通り空一面がグレーだった。遅めの朝食を取り、日課となっているストレッチをして、頭の中のもやが晴れてくると、思考も回転し始める。さて、今日はどうしようか、考えていると、一つの考えが閃いた。

 

「インターネットで在宅でも出来る仕事を探そう」

 

ぼくのパニック障害は、発症当時に比べると随分良くなってきた。しかし、だからといってすぐに仕事が出来るかと言えばそれは疑問だ。

しかもこの病気の厄介なところは再発の可能性がつきまとうということ。この先仮に病気が寛解したとして、また何年後かには再発する危険性を考慮に入れて仕事をしなければならない。言うなれば、散々仲良くしていてある日突然姿を消した友人がいきなり訪ねてくるみたいなものだ。

 

幸いなことに、今は経済的にも何とかやっていけてる状況だ。ブログを趣味として始め、更にツイッターも開設して、パソコンに向き合いっぱなしの毎日。パソコンの中身は色んな情報で溢れている。何事にも言えることだが、どんな情報があったとしても、そこから何かしら学ぶべきものがあるはずだ。

 

インターネットで仕事をしている人ってどんな仕事をしているんだろう・・・?そう思いながら検索すると、色んな情報が入ってくる。

エンジニア、webライター、webコンサルタント、webマーケター、データサイエンティスト・・・etc 

色んな仕事があるものだ。いやぁ、どれも僕には難しそうだな・・・。でもブログも書いているし、ライターなら何とかいけるんじゃないのか・・・?

なんて考えながら検索を続けていると、一際まばゆい光を放っている求人が。

 

 

「web占い師募集!未経験、初心者歓迎!占って稼げちゃう」

 

 

なんだこれ。

突っ込みたいところは多々あるが、「占って稼げちゃう」なんて「楽しく稼げちゃう」みたいな感じがして、カジュアルそうでカジュアルでない。

 

 

 

占いか。。

 

考えてみると占いの効果は意外と大きいかもしれない。僕は今でこそ全くテレビを見なくなったが、昔実家に住んで学校に通っていた時、朝のめざまし占いを毎日見ていた。僕は双子座。何にもない日は、「双子座6位かー」なんて思っていたが、席替えの日には話は別だ

 

席替え、それは退屈な学生生活の中で一大イベントだ。

あいつの隣にはなりたくない。片想いをしているあの子の隣に座りたい。様々な欲望が入り乱れる。そしてその席はしばらくの間固定される。嫌な人の隣に席がなろうもんなら、毎日がブルーになる。

 

しかも、そこでクラス内での自分の評価も分かってしまうのだから恐ろしい。子供は残酷だ。基本的に太っているだけでもうアウトだ。かくいう僕も、昔は相当なデブだった。女子の間で交わされているであろう話がとても気になっていた。臭いとか絶対に言われていたに違いない。

 

僕たちの運命を握っていたのはクラスの学級委員長。彼の手にぼくたち一人一人の運命はゆだねられていた。裏取引までする奴も出てきたほどの席替え。その取引がばれたもんなら村八分だ。

 

そんな重大な日、占いをチェックすることは当然の流れだ。

双子座が1位なら、堂々とそのまま学校へ行き、12位なら、なるべく席替えの時までに徳を積もうといいことばかりする。必要以上に電車内で席を譲ったり、重たくないような荷物を、さも重たいかのように持ってあげたりする。

 

 

考えれば悲しいことだが、僕たち人間は何かにすがっていたい生き物だ。 

そんな重大な占いを扱う人が未経験でいいのだろうか?

占いの結果を見てプロポーズする人もいるはずだ。それで振られたら、その占った人を逆恨みするかもしれない。そして、「俺は神なんか占いなんか信じねぇ!信じられるのは己の拳のみよ!!」なんて言いながら、アメリカとかに武者修行に行っちゃうかもしれない。

 

 

占い。そう考えると、やはり考えさせられるものもある。

 

 

僕たちは、どうしても未来のことを知りたくなり。このまま自分はどうなってしまうのか?将来の自分はなにやってるのか?もっと近視眼的に言えば、今日を無事に乗り切れるのだろうか?そんな心配で満ち溢れている。 

占いの起源は遥か昔、まだ文明が誕生していない時代からあったそうだから、人類がいかに未来について思いを馳せているかがわかる。

 

そんな中での「占い師!未経験、初心者歓迎!」の求人。この求人を出した人に思いを馳せてみた。 

 

「占いなんて、そんなもんだ。この先に待っているものをどう捉えるかは、それはお前たち次第なのさ」

という教えが隠れているに違いない。

 

 

やはり、何事にも学ぶべきものはある。 

まぁ僕は絶対にやらんけど、この仕事。

 

 

そんなことを思い耽りながら、少々疲れたので休憩も兼ねて自分の運勢をヤフーの占いで見た。

 

 

 

「双子座5位

大切なことを教えてもらえる機会があります。謙虚に学ぶ姿勢を忘れずにいてください。

 

なるほど占いって、当たるんだな。