春の微笑みとじいさん
やはり、春というのはこうでなくてはならない。
柔らかな陽ざし、どこからか運ばれてくる産声をあげたばかりの木々の香り、生きている喜びを全身で表現しようとする色とりどりの花たち。街は、花の香りと南風にぐるりと包まれていた。
人々にも活気が満ちている。寒さから解き放たれたように。自然と、街には人の声も多くなってくる。多くはなるが、怒号などは決して聞こえない。皆おだやかに挨拶を交わし、冗談を言い合ったりする。
「きれいだねぇ」
子供連れの母親が、沿道にひっそりと咲くチューリップを見て、子供たちに言っている。子供はその花の生命を全身で感じようとしている。母親は、微笑んだまましばらく花を見つめていた。まるで、平和を願う修道女のように。
僕は歩く。この平和な空気を胸いっぱいに吸い込みながら。
たんぽぽが咲いていた。子供の頃にはよく摘んだものだ。まだ綿毛にはなっていないが、綿毛を吹いて遊んだ記憶が、少しの痛みと共に胸に迫ってくる。たんぽぽなんて、大人になってからは一切気にしていない。でも、子供にとってはたんぽぽが咲いていることが重要なことだった。よく見ると、色んな植物が土の中から出てきていた。つくし、ヒメノオドリコ。皆、子供の時に摘んだものだ。
いつの間にか僕たちは小さな自然を楽しもうとする子供の心をどこかに置き忘れてきたのかもしれない。そんなことを考えると、胸の中には春には似合わない少し寒い風が吹いたような気がした。
狭い公園のベンチに腰を下ろすと、鳥たちの話し声が聞こえてくる。いくら探しても、その鳥たちの姿は見つけることが出来ない。もしかしたら、からかわれているのかもしれないな。そんなことを思ったが、鳥たちの話し声は平和そのもののような気がした。
目の前には、所狭しといくつかの遊具が申し訳なさそうに置いてある。遊具の色はかなり新しい。きっと、急造されたものに違いない。でも、子供たちにとっては狭いかどうかはあまり問題じゃない。遊具が出来た。それだけで子供たちは嬉しいのだ。現に、座っていると、子供の歓声が聞こえる。遊具に興奮しているのだろう。
僕たちは大人になるにつれて、不満事が多くなっていくような気がする。溢れると不満になってしまうコップのようなものが心の中に存在して、そのコップは年月と共に小さくなっていくのかもしれない。
ベンチから立ち上がり、再び歩き始める。
静かな住宅街だ。でも、その静けさはある種の暖かさに包まれていた。ある家の庭にはパンジーが咲いていた。パンジーには色んな色がある。だから、組み合わせが大事なのだ。ここの家のパンジーの組み合わせは優しい色をしていた。でも、その優しさは触れると壊れてしまうような繊細さを備えていた。優しさとは、繊細な気持ちが無いと生まれないのかもしれない。
隣の家は少しだけ大きい。その庭では犬が寝ていた。まるで、周りには全く敵などいないと安心しきっているようだった。犬を見ていると、家の中から中学生ぐらいの女の子が出てきた。そして、柔らかな微笑みなを浮かべながら犬を大切そうに抱きしめた。まるで、自分の子供であるかのように。犬は嬉しそうに女の子に鼻を寄せて甘えている。女の子と犬は、家の中に一緒に入っていった。きっと、家の中で一緒にご飯でも食べるのだろう。
暖かい光に包まれた午後。目を上げると、手のひら大の、まぶしく光る小さな雲が、いくつか浮かんでいた。その雲には光がいっぱいに染み込んでいる。まるで、雲も暖かさを全身で受け止めているようだ。
頭の中に、突然メロディーが浮かんできた。何てことはない、子供の頃によく聞いていた童謡だ。僕は久しぶりにその歌を口笛で吹いた。その音は、空に吸い込まれていった。空には、音楽という栄養が必要なのだろう。
少し歩くと商店街が見えてきた。
昔ながらの商店街で、天井にはアーチ状の屋根がついていた。人々は楽しそうに買い物をしている。八百屋には色んな種類の春の野菜が揃えられていた。買い物客と、店の主人のやり取りは聞いていて、心地よいものだった。おすすめを聞く客、はきはきと少し大きな声で冗談を交えながら答える主人。その冗談に微笑む周りの客。ここの店は繁盛しているのだろう。願わくは、この先もこういう店が続いてほしいと思う。
あちこちで、世間話が行われている。皆楽しそうだ。日々の不満でも話したり、噂話をしたりしているのだろう。でも、その顔には皆笑顔が浮かんでいた。誰もかれもが、この春を待ち望み、そして、日々の中で心ゆくまで楽しんでいるのだ。花見なんかしなくてもいい。ただそこに、一輪のチューリップがあれば、それでいい。
花屋は、それこそ春を感じさせる花をたくさん揃えていた。
僕は花屋に入り、チューリップを一輪買った。花は、見る人に暖かさを与えてくれる。自分の命を犠牲にしてまだ。そういえば、彼女もチューリップが好きだったな。今度、チューリップ園にでも一緒に行こうか。そんなことを思いながら店を出た。
そろそろ帰ろう。そう思い、また歩き始めた。
すると、何やら演説のような声が聞こえてきた。そういえば、そろそろ選挙の時期だ。合点がいった。
しかし、あの演説というものは誰が聞いているのだろうか。せっかくの、春の雰囲気がぶち壊しな感じがして、僕は少しだけ悲しくなった。どうせ選挙が終わったらぱたりと止むのだ。蝉の声のような風物詩にもなりやしない。
どうして、大人になると自分の都合がいいようにするのが当たり前になってくるのだろう。そんな不満を抱えた僕も十分大人になってしまった。自分の思想や政策をマイクを通して垂れ流すのでは無くて、皆と一緒に花でも見ればいいじゃないか。演説している暇があったら、そこにいる人に今困っていることを聞けばいいじゃないか。
大人になればなるほど、僕たちはどんどん自分勝手になっていくのだろうか。そんなことを考えると、暗い気持ちになってしまう。
そんなことを思っていてもしょうがない。帰ろう。
歩こうと思い前を向くと、一人のじいさんが歩いてきた。じいさんの歩みは遅い。そのことを利用して、選挙活動をしていた青年がチラシを渡しにかかる。な、なんて汚ねぇ奴らだ。てめぇらの血は何色だ!!そう憤慨していた瞬間。
ボグゥオ!!!!!
突然大きな音がした。
三角コーンにじいさんが股間をぶつけたのである。
周りの空気が止まった。まるで、そこだけ世界から切り離されたかのように。
沈黙を破り、チラシを渡していた青年が慌ててじいさんに話しかけた。
「だ、大丈夫ですか!?」
じいさんは、痛がるそぶりも見せず、ゆっくりと上体を起こした。
「大丈夫大丈夫。痛がるほど立派なものをつけとらんわい!!それより、あんちゃんは大丈夫か?」
その姿はまさに威風堂々。
そうか、きっとそうなんだ。いくら歳を重ねても、僕らは人に優しくすることが出来るのだ。結局は、人に対して優しさを持てるだけの強さが、自分にあるかどうかなのだ。
このじいさんは、きっと恐ろしく、そしてしなやかに強いのだろう。
だって、あんなにも優しいのだから。
そのじいさんの優しさは、さながら包み込むような優しさの中に芯が通っている春の陽ざしのようだった。
そんなじいさんの姿を見ていると、さっきまでの暗い気持ちはどこかにいってしまった。じいさんは、僕の暗い部分をも取り去ってくれたのだ。まるで太陽のようだ。
ありがとうじいさん。あなたのような人がいれば、まだまだ日本は安心だ。
そんなじいさんの足取りは、少し内股になっていて、更に遅くなっていた。やっぱり、痛かったのだろう。だって、すごい音がしたもんな。
まったくじいさん、あんたって奴は・・・。本当に泣かせやがる・・・。