川辺のカール
しばらく寒い日が続いていたが、久しぶりに暖かな日差しに包まれ始めた。
今まで着ていた厚手の服を脱ぎ、新しい服に着替え、外の広々とした世界へ足を踏み出す。
ちょっと今日は、少し遠くまで歩いてみよう。
そんなことをふと思いついた。
歩くという行為は、様々な発見をもたらしてくれる。自転車やバイクの速度では発見できないようなものが。路地に入ることも自由だし、少々の高低差なら飛び越えることが出来る。隈なく移動が出来るという意味において、歩くという行為が一番自由をもたらしてくれるように思うのだ。
僕たちは自分の近くにあるものを意外と分かってはいないことが多い気がする。
休日を除けば、基本的には職場と家との往復が外へ出る機会である。外回りをする営業マンは、外出する機会が多いけれど、仕事中は自分の考えを膨らませるほど暇ではないし、常に効率のことを考えて動かなければならない。そうすると、自分の周りにあるものに対しての意識が希薄になるのも不思議ではないだろう。
近所を歩くことによって、例えば物理的なことであれば、知らなかった店を発見できるとか、知らなかった駅への近道、知らなかった公園を発見するかもしれない。また、歩くことによって思考がどんどん深まっていき、自分の考え方を新しく発見することもあるかもしれない。
僕にとっては、圧倒的に後者の方を期待して歩くということをしているような気がする。外界で巻き起こる何かを期待しながら。その出来事が、材料となって僕の思考は深まっていく。
道を歩いていると、一本の細い川を見つけた。近くには大きな川が流れているが、この細い川は、いかにも子供が楽しむのにおあつらえ向きのものだ。川は、存在しているのを知られないよう注意しているかのように、静かに流れていた。誰かの手によって、水際の植物は手入れされているのだろう。自然に出来ているようで、さりげなく人の手が加えられていることは、観察しているとよく分かった。
そこには先客がいた。
真っ黒なカラスだ。しかし、普段見かけるようなカラスにしては一回りほど小さい気がする。そのカラスは、川べりで水をつつくようにして飲んでいた。まるで、川の中から自分の天敵が現れるのを恐れているかのように。
僕は、その光景を見ていた。しばらくすると、こちらに気付いたカラスが空へと飛び去っていった。
僕は、カラスが水を飲んでいるところを始めて見た気がする。それも、このような自然が存在する川で。
カラスに対しては、どんなイメージをお持ちだろうか?これは、都市部に住んでいる人と、田舎に住んでいる人でイメージが違うと思う。僕も田舎から、東京に出てきて驚いたのだが、東京は都市部においてはカラスと人間の生活圏がほぼ一致しているのだ。だから、カラスを見かける機会は東京の方が多い気がする。
カラスはゴミをあさり、人間に迷惑をかける。そして近づくと攻撃を加えてくる。こういうことから、カラスはあまり好ましく思われていないだろう。それには、その姿も関係していると思う。なにせ、真っ黒なのだ。黒のリクルートスーツを着ている就活生と同じくらい真っ黒なのだ。見ていて、不安に駆られるのも無理はない。黒のリクルートスーツを着ている就活生を見て、日本の画一性に不安を覚えるのと同じように。
しかし、僕が見たカラスは決してそのような存在では無かった。何かに怯えるように、静かな川で水を飲んでいたのだ。そして、見つかれば大空へと飛び去って行く。考えてみれば当たり前なのだけど、カラスにも水は必要である。しかし、このようなゴミも無い場所でカラスが水を飲むなんて、考えたことも無かった。それよりは、カラスには大変失礼だが、新宿とか池袋のゴミ捨て場で、捨てられているミネラルウォーターのペットボトルから流れてくる水をすする方がしっくりする気がした。
いつの間にか、僕たちはイメージで物事を塗り固めているかもしれない。目で見えているものだけからイメージを作り上げてしまい、その裏を見ようとはしてないのかもしれない。
少なくとも僕は、カラスに対してイメージが良くなったのは事実だ。
しかし、ちょっと待ってほしい。別の可能性も考えなければならない。
それは、カラスが意図してそのような場面を僕に見せた、という可能性だ。
考えてみれば、カラスのイメージは人間の世界、特に東京ではダダ下がりである。それは自分たちの自業自得ではあるのだが、なぜ、鳩は全くと言っていいほど叩かれない、なんなら可愛いとまで言われているのに、俺たちカラスはこんなにも叩かれなければならないのだろうか。
あいつら人間は面白おかしく俺たちのことを取り上げて、俺たちをあざ笑っていやがる。まったくもって憎たらしい。しかし、このままではいずれ俺たちが人間の世界から排除されてしまうのは時間の問題だろう、そこでどうだ。やはり、俺たち自身でもイメージアップを図っていかなければならないのではないか?
カラスたちがこう考えていても、全くおかしくはない。悲痛なカラスの叫びが聞こえてくる。夕暮れの「カー、カー」という声は、もしかしたらこのような叫びの表れなのかもしれない。
そこで、カラスたちは考え、話し合う。
よし、まずは俺たちも普通の動物と同じようにしているところを人間に見せよう。ゴミばかり漁っていたのではダメだ。きちんと川の水を飲んで、人間に危険の無いことをアピールしなければならない。そうだな、そうと決まればやってみよう。やはり、キャストには少し小さめの個体がいいんじゃないか?大きいと怖がる人間もいるだろう。そして出来るなら俳優志望がいいだろうな、演技も上手いから。でも、ギャラは高いとこっちも苦しいから、なるべく若手をブッキングしてもらうようにしよう。カー
まぁ、こんな感じで会話が交わされているに違いない。
全ての準備が整い、「カラスイメージ向上週間」が始まった。「やっていこう みんなでもっと 好きになろう」という標語が掲げられた。
そして、その作戦は見事に成功し、僕はカラスに対するイメージが変わったのである。カラスの作戦は成功である。その後、カラス達の間では、このような会話が繰り広げられているに違いない。
「コンコン、失礼しまーす!お疲れ様でしたー!あのー、僕大丈夫でしたかね?」
「んー?いや、まぁまぁだったと思うよ。本当は、もう少し可憐に見せた方が良かったと思うけどね。」
「いや、本当すいませんでした!しかし、僕みたいな若手を使って頂いてありがとうございます!」
「いや、いいんだよカール君。ところで君、セリフは覚えられる方なの?」
「はい!割と養成学校の方でやっていたんで大丈夫だと思います。」
「あ、そう・・・。今度丁度、来クールから始まるドラマの会議があってね、君のことを推薦しようと思うんだけど、どう?やる気ある?」
「え・・・!はい!願ってもない話です!ありがとうございます!!」
「そうかそうか。じゃあ、推薦しとくよ。ところで君、今のこの仕事のギャラは満足しているの?」
「え・・・。いや・・・。正直言えば苦しいものがあります。」
「困るなぁ・・・。こっちは結構これでも出しているんだよ?若いときは苦労しないとねぇ。さっきのドラマの話だけど、君がこの仕事をやり切ったらの話だから、そこのところ、よく覚えておくようにねぇ。」
「は、はい!わかりました!全力でやらせて頂きます!」
「ん。分かればそれでいい。もう行っていいぞ。次は丸の内でよろしく頼む。」
「丸の内ですか!?ちょっと、飛んでいくには遠い気が・・・。」
「何?不満なの?」
「い、いえ!喜んでやります!」
「では一時間後に、丸の内で頼む。」
「分かりました!それでは失礼します!カー!!」
部屋に一人葉巻を吸い込むプロデューサー。
「あいつもバカだな。まぁ、使えなくなるまで使えればいいか。わーっはっはっはっは!カーッカッカッカッカー!」
カラスの世界も大変なのだ。どこの世界にも序列というものは存在して、強くなければ生き残っていけないというのが、摂理なのだろう。
カラスの若手カールは、これから先、大変な人生、いや烏生が待っている事だろう。でも、彼が僕に与えてくれたイメージはとても良いものだった。その意味で、彼は自分の役割を果たしたと言える。
ありがとうカール!これからも頑張れカール!
その後、僕は自分の家に向かう途中、カラスがもの凄い勢いでケンカしているのを目撃した。
きっと、あのプロデューサーの汚いやり口に業を煮やしたカラス達が憤慨して、襲っていたのだろう。
因果応報。
この言葉は事実同士の目に見えないつながりを表しているのに違いない。
僕には、あのカールの爽やかな笑顔が見えた気がした。