パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

良書の条件

良書とは、須らく自らの視野を拡大してくれるものである。

 

 

本好きの僕が心に留めている格言だ。今の世の中、様々な文章が情報で溢れている。今の若者は本を読まなくなった。活字が大切にされなくなった。そういった嘆きがあちこちから聞こえてくる。

なるほど、半分は合っていると思うが半分は間違えている、そう思うのだ。確かに本は以前に比べたら読まれなくなったかもしれない。しかし、インターネットの発展でスマホ一つあれば重い本を何冊も持つことも無く、色んな本が読める。

 そして何より、全員が気軽に発信者になれる時代でもある。インターネットが登場するまでは、素人が情報発信をすることは極めて難しかったと言えるだろう。記者になるか、作家になるか。または新聞に投稿するか。それぐらいしか方法が無かったはずだ。

 しかし、現在はブログやSNSによって誰もが簡単に発信出来るようになった。その結果、文字が溢れるようになった。恐らく、文字に触れる機会、一日に文字に触れている量なら、以前とは比べものならないほど増加したのではないだろうか。

 

 

だが、懸念される事項もある。

それは、触れられる文章の「質」の低下だ。考えてみよう、「本」で出版されるということは、ある程度の信頼に裏打ちされているということだ。学術系の本はもちろん、怪しい自己啓発本だって、その世界である程度成功した人が書いている。もし僕が「絶対売れる!20の法則!」とか、「きっと未来は大丈夫!潜在能力を開花させる12の大切なルール!」なんて本を書いても、すぐに出版社へ返送されるのがおちだろう。

 だが、ブログやSNSの世界ではそんなことは起きない。誰が何を言おうと、法に触れない限りは自由なのだ。そうすると、あれよあれよという間に文章が溢れることになる。誰が見てくれようが関係ない。「たかやの気ままな生活ブログ」なんてタイトルがあったとしても、大抵はスルーされてしまうだろう。しかし、それでもいいのだ。何故なら、自分が書くことによって満足するなら、文章を書く目的は達成されているのだから。

 そして、アフィリエイトなどで稼げる方法が確立されると、一気に「情報特化型」の記事がありふれるようになる。紹介記事は、小説に比べるとうんとハードルが低いので、勉強さえすれば多分書けるようになるのだろう。そして、「ブログで月間20万円達成!」なんて甘い甘言に惑わされて、夜電灯に群がる虫のごとく人は集まる。

 かくいう僕もその一人で、「マジ月10万なんて俺なら楽勝じゃねwwwぶふぃww」なんて思いながら別ブログで紹介記事書いても、待てど暮らせど全く金にならない。というより誰も来てくんない。

 

おかしい、他の人はブログ初めて一ヵ月でPV2000とか言ってるのに、僕のそのブログでは月間PV数0だった。

これは、何か陰謀が働いているに違いない。僕のブログにアクセスさせないようにGoogleが何かセキュリティを敷いてるのかもしれない。そうか、それほど危険な存在だったのか僕は。きっと、何か世の中にとって都合の悪いものを発信してしまったのかもしれないな。さすがGoogle。いい仕事してますわ。負けたよ、おめーには。

 

 

驚異的に少ないというより0のPV数に肩を落とし、ありふれた、いわゆる「特化型ブログに」何気なく目を通す。

 

 

「PV数を増やしたいなら、毎日更新することが大事です。そして、わかりやすい言葉で書きましょう」

 

 

なんて、ありふれている文章なんだ。そんなことならとっくにやってるよ、くるくるぱーかお前は、なんて毒づく。

 

さて、PV数0だけど更新しますかー、今日は何を紹介しようかなー、なんて思いながら、そのブログのHelpを見てみると。

 

 

 

「記事は最初は下書きの状態で保存されます。」

 

 

 

なんてこった!僕の練り上げた記事は1つも公開されてなかったのだ。その真実に震えが止まらなかった。もう、むきー!ってなってそのブログを全面消去しました。 

しかし、記事の投稿前は必ず自分でチェックを入れること。こういう新しい視点が僕に追加された。

 

 

良書とは須らく自らの視野を拡大してくれるもの。

 

 

最もありふれている「Help」が今の僕にとっての「良書」だったのだ。