パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

治療法のお話

皆さんこんばんは、岸野です。

体調は割りとよろしいです。段々薬が効いてきたんでしょうか?

段々出来ることが増えてくると、嬉しくて調子に乗るものですよね。もう、以前の自分に戻った感じがして、遠出をしてしまい、負荷のかかる運動をしてしまいました。心の中では「パニック障害なんて、俺にかかれば一発よ!!」なんて思うんですが、夜にとんでもない発作が起こって、もう謝り倒しましたからね。誰に?誰かにです。

 

お腹がめちゃくちゃ痛いときって、何か謝りたくなりませんか?「ごめんなさいごめんなさい、もうしませんからぁぁ!!!」みたいな。あれ、誰に謝ってるんですかね?そして、何を謝ってるんですかね?

何か不調があると、「罰」的なものとして考える。いくら無宗教国日本といっても、深層心理には、何かしらの宗教的なものが根付いていますよね。

そういえば年明けの湯島聖堂とかマジで人がすごいですからね。一時期湯島聖堂の近くに住んでいたことがあって、窓から湯島聖堂に参拝するために並ぶ人々を見たことがあるんですが、とんでもない人数でびっくりしました。神頼みをして、全員が望む結果が出るとは限りません。望む結果が出なかったときにどう思うんでしょうね?

 

そして、そんな僕もパニックになった時には何故か謝ったりしてました。何なんだろうね、本当に。

 

 

さて、タイトルのお話ですが、パニック障害には様々な治療法が存在します。

日本の場合ですと、まず薬物療法によって症状を抑え、症状が治まってきたら認知行動療法や曝露療法といった方法を取っていきます。

この病気の厄介なところは、苦手な場所、行きたくない場所が増えていくことです。ですので、薬で症状を落ち着けたら、嫌な場所を避けないで段々慣らしていくっていう療法がメインになってきます。

人によって差はありますが、薬を使わず病気になる前と同じ生活にもどるのには1,2年かかるそうです

 

ざっと治療法をまとめましたが、ぼく自身も色んな本を読んで他にどんな治療法があるのか調べています。

その中で、こういう本があります。

www.kinokuniya.co.jp

 

この本の著者は、現在の一般的な治療法に反対の立場をとっています。

1~3章は、病気の原因の話。4,5章は具体的な治療法の話。

 

病気の原因の話は読んでみて全く損はないと思いました。個人的な内省にもつながりますし、今の病気になった原因を具体的に考える手助けになるような情報が入っています。

しかし、治療法の話に関しては思うところがあります。というより、やり方が単純に悪かったのかもしれないけど、その治療法は、ぼくにはあまりうまくいきませんでした。

本当に簡単にこの本に書いてある治療法を紹介すれば、「人間の脳は慣れ親しんだ考え方で考えをすることを好んでいる。つまり、ネガティブな人はその考え方に慣れ親しんでいるだけであって、そのことを意識しながら、ポジティブに考えられるような回路を作ればよい」ということです。(間違っていたらすんません)

具体的には、これからやりたいことを自分の体調のことは考慮せず10個書き出して、それに対して一つ一つ具体的にポジティブにイメージする、ってことを毎晩やります。

 

よーし、ぼくもやってみよう!!

 

ってことで、「新幹線に乗って行きたいとこに行く」と書き、具体的に本に書いてある通りにイメージしました。

さぁ、あなたは新幹線の座席に座り、車内販売の控え目でかつ優しい声を聞き、窓から見えるきれいな景色を時には楽しみ、好きな本を読んで、香りのいいコーヒーを飲みながら、目的地のことを考えるとワクワクします・・・。

 

もう、パニック全開でした。夜も寝られないぐらいの。

 

新幹線に乗るってことが恐怖になってるので、イメージが「恐怖」にどうしてもなっちゃうんですよね。おかげで、頓服をいつもより使うハメになりました。

 

だからといって、この本に書いてある方法が間違いだとは思いません。

 

適切な時期にやれば効果抜群なんじゃないかと思います。

ぼくが試したのは、発症して直後の時だったので精神状態が全然落ち着いてないんですよ。でも、薬を服用しつつ、焦らないってことを覚えて、心に割と平穏な状態が戻ってきたら、いいイメージが出来るかもしれません。

 

ですので、人によってはパニック障害を発症してすぐに取り組んでもいいかもしれませんが、すこし時を置いてからこの治療法を実践することをおすすめします。

 

それにしても、薬のこととか、治療法のこととか、相反する情報で溢れかえっています。それは、まだ確固たる治療法が確立されてないことの証明でもありますよね。

 

ぼくは一人の患者として治っていく過程を書き、一つの症例として色んな人と共有できればと思っています。