パニック障害の始まり
夢を見た。
僕は10年前に住んでいたマンションの部屋の中にいた。
小さなワンルームの部屋で、防音がしっかりしているため物音がほとんど聞こえない部屋だ。どのようにでも彩を作ることが出来る白い壁にフローリング。なぜ黒い壁というものは存在しないのだろう。白い壁は病院を想起させるので少し苦手だ。薬品の匂いが漂ってくる気がする。
僕はその夢の中でベッドの中にいた。10年前の日常を繰り返していたのだろうか。夢の中の僕は、なぜ自分がそこにいるのか全く疑いを抱いていない。まるで、今でもその部屋の中で自分が生活しているかのように。
僕はなぜかベッドから起き上がることが出来ないでいた。その狭い部屋の中に誰かがいた。中学の同級生だ。やはり、僕はなぜそこに同級生が存在しているのか全く疑問を抱かない。彼の名前を思い出そうとしている間に、彼は言葉とも擬音とも区別のつかない音を残して部屋の外へと出ていった。
何となく彼が部屋から出ていったことに対して後悔した。やはり、後悔した理由はわからない。夢の中にあるのは、事実と感情だけなのだから。そのことに関して疑問を抱かないというのが夢の中なのだ。
そして突然、大きな音でドアが鳴り響いた。大きなノックの音だ。その音は、空気を伝わって僕の心臓にまで届いているような音だった。いや、実際に心臓に届いていた。やがて、そのノックの音と僕の心臓の鼓動が同期し始める。もしかしたら、心臓から音が出ているのかもしれない。
いや、実際に心臓から大きなノックの音が聞こえてきたのだ。心臓がここから出してくれと、僕の身体を大きくノックしていた。そして、僕の身体はメリメリと音を立て、ノックの音が鼓膜を破るほどの大きさになっていった。
そして、僕は目覚めた。
気が付くといつもの部屋の中だった。
違うのは、異常に心臓の鼓動が大きく速くなっていることだ。脳天にまで音が突き抜け、身体を貫きそうな音だった。まるで、ドアをノックする音だ。しかし、ここは夢の中ではない。鼓動が早くなった原因を考えられるし、対策も出来る。僕はベッドから立ち上がって、安定剤を飲んだ。
パニック障害になってから、このような発作によって目を覚ますことがよくある。最初にこの発作を経験したときは、正直に言ってかなり恐ろしかった。心臓がオーバーヒートしてしまいそうだったからだ。でも、何回か経験すると慣れてくる。あぁ、また発作か、と。慣れたくはないのだが。
時計を見ると、午前の3時10分前だった。発作が起きるようになってから、十分に睡眠がとれていない気がする。異常に頭が冴えていたので、すぐに眠ることは出来なそうだ。一体いつから僕はパニック障害になってしまったのだろうか。そもそも、診断を下される前に身体は何かしらのサインを送ってくれていたのだろうか。
そんなことをなんとなく考えてみる。
去年の12月の頭にパニック障害の診断を受けた。
その診断を受けた日の朝、僕は満員電車に乗っていた。東京での生活は長いので、満員電車には慣れている方だと思う。しかし、朝の満員電車というのは精神を擦り減らす。自分のスペースを確保するために毎日朝から闘わなければならないのだ。女性が目の前に来たものなら大変なことである。痴漢と間違われないように挙動に気を付けなければならない。どこかのニュースでやっていたのだが、息がかかっただけでも痴漢と疑われるらしい。
イケメンならすべて許されるかと言えばそうではない。問題は女性が不快な思いをするかしないかであるからだ。痴漢問題は、考えを述べれば長くなるのでここでやめておくが、一つ言えるのは、女性の方が間違いなく長いこと痴漢の被害に合って黙秘せざるを得ない状況がずっと続いていた。その土壌を作った男性側にも絶対に責任はある。しかし、最近はちょっとパワーバランスが女性の方に傾き過ぎているような気もするが。
話を戻そう。満員電車に乗ったからといって気分が悪くなったことはこれまでに一度も無かった。貧血すらなったことがない。だから、個人的には満員電車であろうがなかろうが、体調には関係なかった。疲労度を除けば。
今でも分からないのだが、その日はなんとなく漫才コンビの「中川家」のことを考えていた。理由は全くない。ただただ頭に浮かんできた。それだけだ。
「そういえば、中川家のお兄ちゃんは満員電車が苦手って言ってたな。あれってパニック障害って言うんだっけ?」
そう考えた瞬間だ。
僕の体中の血の気が引いたような気がした。心臓の鼓動は一気に速くなり、汗が全身から噴き出してくる。同時に後頭部に鋭い痛みが走った。自分で自分をコントロールすることが出来ないのである。呼吸もおかしい。視界も歪んでくる。
この空間は危険だ。早く逃げなければ死んでしまうかもしれない。
頭に浮かんできた考えはそれだけだ。理由などない。ただ、身体が危険を感じている。目に見えない何かに。
次に停車した駅で咄嗟に降りた。すると鼓動が落ち着いてきて、呼吸も整ってきた。しかし、相変わらず後頭部にはするどい痛みが走っていた。駅のベンチに腰をかけて休む。
一体何だったのだろうか。
少し休息を取り、電車に再び乗ろうとするが体が動いてくれない。いや、身体は動くのだが電車に乗ろうとしてくれないのだ。まるで、魔法にかけられたようだった。しかし電車に乗らなければ移動は出来ない。予定時刻より遅れてしまうが、僕には焦らないことが必要だと判断した。
人込みがダメになってしまったのだろうか。
そう思い、向かい側の駅のホームへ行き、空いている電車に乗ろうと試みる。
電車の中には入ることは出来た。しかし発車を告げる音楽が流れると、足は自然に車外へと向かい、降車することになってしまう。何度も試したが、結局は電車に乗ることは出来なかった。
そうすると、電車がダメなのか。駅のホームから外へ出て、タクシーに乗ろうとする。やはり、乗った瞬間にダメだと、身体の反応で分かる、タクシーの運転手は何か触れてはいけないものを見るような怪訝な目つきで僕を見ていた。
ここまでで、一つの推論が出来た。
閉所恐怖症か、パニック障害のどちらかだろう。
まぁ、実際にはそんなに冷静に考えられたわけではない。文字通り、あの時の僕は相当パニック状態になっていたように思う。とにかく落ち着かなかった。外をあちこち歩きまわって、近くの喫茶店に入って休んだ。
とにかく、自分に当てはまる症状を調べるだけ調べてみた。すると、やはりパニック障害の症状に大部分で合致していた。病名は判断できたが、ここからが問題だ。一体どうやって移動すればいいのだろう。そもそも電車に乗れなければ移動すらできないのだ。砂漠に一人取り残された絶望感はこういう感じなのだろうか。
気は進まなかったが、近くにある心療内科を受診することにした。しかし、どこもすぐには入れそうになかった。何とか自分の状況を必死に説明して、一軒だけ自分を受け入れてくれる病院を見つけることが出来た。藁にも縋る思いとはこのことを言うのだろう。僕はすぐにその病院へ直行した。
もうほとんど意識が朦朧としていた。身体全体を不快感が包み込んでいて、呼吸が苦しくなっていた。その中で受けた診察なので詳細ははっきり言って覚えていない。しかし、やはりパニック障害の診断を下され、薬が処方された。
処方された薬を飲み、しばらく休んだ。すると、身体が徐々にいつもの調子を取り戻してきた。そこから、恐る恐る電車に乗ってみると、なんと無事に乗れたのである。そして、予定時刻よりは大幅に遅れてしまったが目的地にまで到着することが出来た。
以上が、パニック障害と診断された日の出来事だ。
心療内科に行くということは、僕にとってはハードルが高かった。何となく落伍者の印を押されてしまうような、そんな気分になってしまうからだ。しかし、あの段階で病院に行っていなければ、電車には勿論乗れなかっただろうし、もしかしたら症状も酷くなっていたかもしれない。
やはり、早めに病院へ行った方がいいのだ。薬に対して嫌悪感を抱いている人も多いと思うが、ただ単に嫌悪したって何の役にも立たない。勿論、自分の病気は自分で治さなければならない。しかし、まず優先すべきことを整理した方がいいと思うのだ。
僕にとっては、症状を和らげ、普段の生活を出来るようにすることが一番の目的だ。その為には、やはり薬は必要だろう。
もし、病院へ行こうかどうか悩んでいる方がいたら、迷わず病院へ行くことをお勧めしたい。それなら、それを発信していきたいな。
ふと時計を見ると午前3時半だった。
身体は落ち着いてきた。薬が効いてきたらしい。
段々と、眠りの世界に入っていく。
よし、体調が落ち着いてきたらブログを始めて発信しよう。
そんなことを思いながら。