パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

ある日の煙草とエゴ

「なんていうかさ、周りを見るとエゴだらけだよな。この世界って。」

 

 

友人のK君はそう言った。僕が大学に通っていた時の、ある日のことだ。

 

 

「すっからかんの頭を懸命に振って出てきた知識をひけらかすだけひけらかして、自分はいかに勉強しているかを見せることが大好物な奴が大勢いる。そのくせ奴らは群れることが大好きなんだ。ハイエナのようにね。きっと不安になるんだろうな。自分は何一つ本物と言えるものを持っていないからさ。」

 

 

K君は皮肉たっぷりに言い放った。でも、そんな彼の表情は少し憂鬱そうだった。

 

「俺だってエゴの塊のような人間だよ。俺もあいつらと同じだと思うと吐き気がするね。だから、俺は自分の時間を誰よりも価値的に使って、決して群れないように努力しているんだ。」

 

K君は大学時代に、風俗・エロゲーパチスロと人間の欲望の産物の極みとも言える娯楽に真剣に取り組んでいた。まるで、居合切りをする侍のように。でも、彼は自身の哲学というモノを持っていたし、少なくとも彼と話していて退屈だということは無かった。

 

「よく見てみろよ、ゆーすけ。このエロゲー、感動しないか?涙なしには見られない作品じゃないか。」

 

K君は目の前にあるパソコンを指さす。K君はエロゲーのことになると熱くなる。まるで、クラシック音楽の素晴らしさを熱心に語るかのように。

 

 「エロゲーをバカに出来ないよ。そりゃあ駄作もあるさ。抜ければ良いという作品もある。何せ資本主義だからね。あらゆる欲望に応える義務があるのさ。でも、良作は俺に問いかけてくるんだ。お前にとって生きるとはなんぞや、ってね。」

 

 K君はここまで話すと煙草に火を点けた。そして一息に煙を吸い込み一気に吐き出す。辺り一面が靄で包まれた。僕も煙草に火を点ける。

 

 「まぁ、確かに君のいう事も分かるよ。映画でも本でも、哲学を持った作品が良作とされるからね。」

 

 「なぁ、ゆーすけ。俺は、娯楽向けの文化を否定するつもりなどない。ただね、俺は意味のあることだけに身を晒していたいんだ。」

 

 「でも、君にとっての意味のあることは他の人にとって意味の無いことかもしれないよ。絶対的に意味のあるものなんてあるのかな?」

 

 僕が疑問を問いかけると、K君は黙り込んだ。頭の中で適切な言葉を探しているのだろう。言葉を間違えれば、自分の考えを誤って捉えられてしまう。歯車は狂わすわけにはいかない。出だしが肝心なのだ。そうでなければ、最後は取り返しがつかなくなることだってある。

 

 

長い沈黙が続いた。

 

 

K君の持っている煙草の灰が床に落ちる。煙は一条の道筋となって天井に昇っていく。テーブルの上には飲みかけのビールとワイン。それから、食べかけのチーズが散在していて、溢れんばかりの吸い殻が入っている灰皿がある。ワインの瓶の口からは甘ったるい匂いが漂ってきて、チーズのすえた匂い、煙草の匂いと混ざり合う。キッチンには洗いかけの皿が積み上げられ、コンロの上にはいつ作られたのか分からない味噌汁の鍋が置いてある。それらの匂いが混ざり合って、僕の鼻孔を通り脳を刺激する。

 

間違いなく、ここは一つの生活が存在している場所だ。文化やら、哲学を語るのにはうってつけの場所だ。いつでもその匂いを頼りに、空想から帰ってこられるから。

 

 

K君はなおも口を開こうとしない。

 

 

目の前にあるパソコンの中で、同じ場面が繰り返し流れている。K君が称賛してやまないエロゲーのオープニング画面だ。この空間を支配している沈黙に不釣り合いなほど明るく画面の中の少女は歌っている。この少女にとってはこちらの世界で起きていることは無関係なのだ。

 

 

「人と比べる事って意味があることなのか?」

 

 

唐突にK君は口を開いた。

 

 

「意味があるかどうかって誰が決めるんだ?絵の中で磔にされている人か?それとも、沙羅双樹の木の下で静かに微笑む人か?なるほど。大多数の人にとっては意味のあることを、彼らは決めたのかもしれないな。」

 

 K君は二本目の煙草に火を点けた。今度はゆっくりと煙を吸い込み、同じ速度で吐き出した。まるで、自分を落ち着かせるように。

 

 「彼らは素晴らしい人物なのだろう。それは疑いようもない事実だろうね。でも、彼らが見た世界が俺の見た世界と一緒だという保証はどこにあるんだ?彼らは俺たちみたいに、学食で安いカレーを食べて、あくびを噛み殺しながら講義を受けているのか?違うだろう。世界はその人だけのものだ。あくまでね。」

 

 「あのカレーには、僕も参ってしまうな。ビーフなんて名前がついているけど、ちっとも肉なんて入っていないんだものな。でも、パサパサのパンよりはましな気がするけどね。」

 

 「ゆーすけもそう思うだろう。俺もそう思う。カレーの方がましさ。そして俺の世界ではカレーの方が、パンよりも価値がある。結局、意味があるかどうか決めるのは――」

 

 K君は突然言葉を切り上げた。言葉は引きちぎられ、重要な部分を失った言葉は当てもなく空間をフラフラ漂うことになった。そしてK君は、いかにも残念そうな、そして皮肉めいた笑みを浮かべた。僕にはその表情がよく見えた。そして、K君の表情の意味も分かった。

 

 

K君は自分で認めてしまったのだ。

 

 

結局、意味を決めるのは自分自身であり、それこそがエゴの正体であると。そして自分は、自分が揶揄した人間たちと何も変わらないということを。

  

相変わらずパソコンの画面の中では、変わることなく少女が歌っている。きっとこの少女は僕たちが死んで、僕たちの子供が死んでも歌い続けるのだろう。僕は煙草を吸う。この煙草は5分後には消えて無くなっているんだろうな。そんなことを思っていた。

 

K君は煙草を持った片方の手のひらで器用に顔を覆っていた。K君は全く動こうとはしない。まるで彫像のように。そして火の点いた煙草がジリジリと短くなってゆく。

 

僕たちは、こうして何本の煙草を無駄にしたのだろうか。煙草だって、こんな風に吸われないまま使い捨てられていくのは不本意なことだと思っているに違いない。しかし、仕方が無いのだ。いくら不本意だと思っても、意思表示が出来なければ何も解決しない。当たり前のことなのだが、煙草には口が無い。そう思えば、意思表示が出来る口を持つぼくたちはいくらかマシのように思えた。

 

 

「ゆーすけ、駅前に行かないか?」

 

「いいね。善は急げだ。」

 

K君が着替えている間、僕は外で待っていた。すっかり日が落ち、辺りには静寂が漂っていた。僕は煙草に火を点け、煙を吸い込む。誰かが山で吸う煙草は美味いと言っていた。空気が美味いから。でも、煙草は煙草だ。美味いと思ったことは無い。K君の部屋で吸う煙草も、外で吸う煙草も同じ味だ。だから、きっと富士山の上で吸っても同じ味なのだろう。

 

「お待たせ、さぁ後ろに乗れよ。キャデラックのリムジンだぜ。」

 

僕はヘルメットを被り、バイクに乗る。僕はバイクが好きだ。バイクはスリルに満ちていた。もし道を曲がる時に手を離したら、バイクから投げ出され大怪我を負うか、最悪の場合死んでしまうことになるのだろう。ジェットコースターに乗ってスリルを味わいたいのなら、バイクに乗ればいいのだ。なぜか僕はジェットコースターは苦手なのだが。

 

15分ほどで駅前に着き、駐車場にバイクを停める。

 

駅前の繁華街は活気で満ちていた。昼間とは違う種類の活気だ。幾分か妖しさを含んでいて、危険な匂いが微かに漂よっている。

 

金髪でスーツ姿のキャッチが盛んに声を張り上げている。ラフな格好をした中国人の女性が、しきりにマッサージに誘いかける。酔っぱらったサラリーマンの団体が道の真ん中で騒いでいた。まるで、自分たちが世界で一番偉いのだと主張するかのように。

 

「いいよな。この辺は。何となく安心するよな。」

 

K君と僕はコンビニでビールを買い、それを飲みながら人の動きを見ていた。それは、僕たちにとってささやかな楽しみでもあった。

 

「何がいいって、欲望丸出しの人間を見られるからだよな。なぁ、ゆーすけ、あいつらを見てみろよ。きっと昼はガラス張りのオフィスで働いていて、PDCAだの難しい言葉を使いながらビジネスしてるんだろうな。でも、ここでは欲望丸出しだ。酒を好きなだけ飲んで、キャバクラに行って、その後は抜かれるのさ。素直な世界だよ、ここは。本当にさ。」

 

人々は僕らの前をただ通り過ぎていく。この人たちにとって、僕たちはその辺に落ちている煙草の吸殻と変わらない。僕たちがただ口を閉じてさえいれば。

 

「やっぱり安心するよ、本当に。みんな欲望の塊じゃないか。そしてそれを隠す必要がここでは無い。ここには誰も知っている奴はいないけれど、今この時はみんな仲間のような気がするな。そして、ああ、おれは孤独じゃないんだ、って思えるよ。」

 

そうなのだ、僕たちは不安だったのだ。僕たちはエゴ丸出しの人間だ。昼に大学で出会う人間たちは、僕たちとは全然違ってエゴなんか持っていないのかもしれない。おかしいのは僕たちなのかもしれない。そんな不安に襲われる時があった。でも、この場所にいると、みんな同じなんだと安心出来る。一人一人が大きなエゴの塊を持って生きているのだと。

 

僕たちはとりとめのない会話をする。夜に行き交う人々を見ながら。そこに自分自身を投影しながら。

 

 

「じゃ、俺はそろそろ行くわ。」

 

「いつものところに行くんだね?」

 

「あぁ。俺を待っている人がいるからな。じゃあ、ゆーすけ、また明日学校でな。」

 

そう言い残しK君は繁華街のネオンの中へ消えていった。K君の姿はすぐに他の人たちと混じり、判別が出来なくなった。こういった夜を過ごした後、彼は必ず風俗へ行って、お気に入りの子を指名する。そして、内に溜まっているものを吐き出すのだ。

 

僕は電車に乗り、持っていた本を開いた。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」。あのゲーテだって悩んでいるのだから、僕たちだって悩んでいいのだ。若者が持つある特有の満ち溢れるエネルギーは、いつの時代も人を悩ましていたに違いない。

 

適切な処置をしなければ、そのエネルギーはやり場を失って暴走する。そして、そのまま僕たちの身体を蝕んでいく。僕たちは優秀な医者であり、同時に優秀な患者でなければならない。

 

そんなことを思いながら歩き、僕は自宅へと帰った。身体にまとわりついた匂いを落とすためシャワーを浴び、すぐにベッドに潜り込む。今日は煙草を吸い過ぎた。やがて意識が薄れていく。

 

翌日、僕はいつもの通り大学へ行く。

 

周りを見渡すと、昨日K君が言っていたような人間が多いとは思った。でも、どんなにエゴを憎んだところで、僕も同じ一緒くたな人間なのだ。

 

それでも、僕はやはり意味のあることをしたいと思い続けていた気がする。K君のように。

 

 

いつもの喫煙所でK君と出会う。

 

K君は溌剌としていた。K君は思考の海に深く潜ってもすぐに帰ってくることが出来る、類まれなる人物だ。そこがK君の魅力の一つである。

 

「おう、ゆーすけ。昨日は実にハッピーな夜を過ごしたな。」

 

この調子である。きっと、思い切り溜まっていたものを吐き出したに違いない。

 

 「今日は新しいエロゲーの発売日でな。俺はすぐに行かなければならないんだよ。という訳で、じゃな。」

 

 K君は忙しない様子で煙草をもみ消し、走り出していった。K君の残した煙草の火は完全には消えておらず、灰皿の中で燻っていた。まるで、僕たちの不満を表しているかのように。

 

燻っていても煙草は煙草だ。そこに疑いの余地はない。そして、燻っていても僕たちは僕たちなのだ。何も変わることなく日々は続いていく。

  

僕は一人残り、煙をゆっくりと吸い、そして吐き出した。煙は雲一つ無い青空へ吸い込まれていった。煙は、すぐに他の空気と混ざり合い、やがて同化した。煙は、自分が煙であると頑なには主張しなかった。

 

そして、僕は自分の煙草を丁寧にもみ消し、次の講義が行われる教室へと歩いて行った。

 

 

こうして僕たちは、今日も生きてゆく。