パニック障害患者、まったりとブログやる

パニック障害になってしまいました。言葉遊びしてます。Twitter@lotus0083 ふぉろーみー。

夜の世界でブルースを

太陽が沈み、辺り一面が闇に包まれると世界が一変するような気がする。

 

 

いや、気がするだけではなく本当に変わるのだ。

 

 

もちろん、モノ自体の状況はなんらも変わらない。昼と同じく道路は存在し続けるし、お気に入りのカフェだって夜に存在し続ける。入れ物は変わらず、その中身が変化するだけなのだ。その入れ物は、まるで透明な空き瓶のようだ。そこに入る中身はなんだっていい。ただ、中身の傾向性が変わるだけなのだ。そして、その色も変化していく。

 

朝規則正しく目を覚ます街もあれば、夜に目を覚ます街もある。はたまた、眠らない街も存在するのかもしれない。

 

だが眠らない街というのは、あまり無いような気がする。例えばその代表例は新宿であるが、新宿だって街が眠る時間は存在する。電車の始発が動く約1時間前から、新宿は突然静かになる。まるで、小さな子供が騒いでいて突然眠り始めるかのように。

 

考えてみれば、街が眠ったり起きたりするのは当然のことなのだ。なぜなら、その街を造ったのが他ならぬ人間自身なのだから。ずっと起きていられる人間はいない。ナポレオンだって、一日のうちで数時間は眠る。

 

 

僕は昔から夜の世界が好きだった。今、病気になってからは夜が怖くなってしまったけれど。

 

 

僕は昔ミュージシャンをやっていた。ミュージシャンの出勤時間は遅い。大体夕方辺りから仕事が始まる。そして仕事が終わるのが早くて日付が変わる直前で、遅くて朝まで仕事がかかる時もある。この場合は、趣味なんだか仕事なんだかよく分からなくなっていて、その境界線が溶けてしまった時に帰りは朝になる。

 

夕方からリハーサルに入り、夜に本番だ。リハーサルから本番までは割と時間があるので、気分転換に外を歩くことも出来る。今でこそかなりマシになってきたが、少し前のライブハウスの匂いはひどいものだった。煙草のヤニが壁やアンプにこびりつき、アルコールの匂いが床から漂ってくる。狭い楽屋の冷蔵庫の中には、朽ちかかっているチーズが残っていて汚臭を放っていた。ここにずっといると、退廃してしまうような気がした。だから、外に出て呼吸をすることが必要だったのだ。少なくとも僕にとっては。

 

 

夕方から夜にかけて、街の雰囲気は変わっていく。夜に起きる街だったら、やっと目を覚ます時間だし、あまり眠らない街であれば、その入れ物の中身を変えている最中なのだ。段々灯り始めるネオン、増え始める威勢のいい呼び込みの声、派手なドレスを着た若い女性。どれもこれも、昼には見られない光景だ。

 

この時間帯の街は、まだ健全だと言える。ここに集まる人々は何かの快楽を見つけるために、心に溜め込んでいるものを吐き出すために集まる。快楽を提供したり、その受け口になるのが夜に仕事をする人間の務めだ。多少の嫌なことはあるにせよ、みんなそれぞれが与えられた役割をこなす。そこは間違いなく普通の世界なのだ。

 

ただし、昼の世界の人間は豹変することが多い。誰もが自分の中に二つの世界を持っていて、夜になるともう一つの世界が目覚め始める。その街を訪れた者であれば。その街に住んでいる人間は、そんな豹変ぶりを受け入れなければならない。だって、ここはそういう世界なのだから。

 

 

 

しかし、本当に世界が変わるのは、僕の感覚では午前0時を過ぎてからだ。僕は、その頃ステージに上がっている。

 

 

午前0時を過ぎると、ステージを見に来る客層が一気に変わる。その街に住んでいる人間が、ステージを見に現われることが多かった。と言っても、ほとんどの客は電車に乗って帰っていくので、ライブハウスの中は閉店間際のデパートのように人が少ない。

 

恐らく、その時間から来る客で、本当に音楽が好きで僕のステージを見に来た人は少なかったと思う。大体の人がはつらつとした顔というより、どこか憂鬱そうな表情を浮かべながら、薄いアルコールを口にしている。そして、一人で席に座りながら、僕たちの演奏する古き良き時代の洋楽に耳を傾けているのだ。その時は、決してロックはやらない。大抵ブルースをやっている。ブルースは、深夜0時を過ぎてから聴くのに最も適した音楽であると思う。

 

演奏が終わっても、帰ろうとする人はあまりいない。朝まで飲みたい気分なのだろう。たまに付き合わされることもあった。その時は、僕も朝まで帰れない。

 

何故か付き合わされたのは女性ばかりだった。普通のOLなんていなかった。多くは風俗嬢、キャバ嬢、たまたま店を閉めていたスナックのママ、そして本当だかどうだか確認のしようもないがSMの女王様もいたことがある。

 

口数が多い人もいれば、少ない人もいた。そして大抵の場合、皆疲れていた。それもそうだろう。本当に疲れていたら、家になんて帰りたくないものだ。みんな孤独というものに疲れていたような気がする。

 

口数の少ない人に付き合わされるのは好きだった。言葉を選んで話してくれるので、頭の中で話を再構築をする必要が無いからだ。そして、本が好きな人が多いような気がする。良い悪いは全く別にして。

 

 

 

自称ではあったが、SMの女王様の話はとても面白かった。

 

 

 

「ねぇ、君さ。私達SMってSの方に支配権があると思っているでしょ?」

 

 

「実際そうなんじゃないんですか?だってお金を払って、適切な言葉が見つかりませんが、虐められに来るのでしょう?」

 

 

「大体の男はそうね。お金を払って、私たちに体を傷つけられて喜んでるわ。実際に、支配されることを望んでいない男性はいないわね。」

 

 

「だとしたら、支配権はいつだってあなたにあるわけじゃないですか。」

 

 

「ところがね。本当にたまにだけど、自分が支配しているのか分からなくなるお客さんもいるのよ。」

 

彼女は言葉を選びながら話しているように思えた。そして、細いメンソールの煙草に火をつけ、煙をゆっくり吸い込んだ。手に顎を乗せ、足を組み替える。彼女の表情は少し微笑んでいるような気がした。 

 

「そういうお客さんは、自分の意のままに私を操るの。自分がされたいように意のままに。それは希望を叶えてあげるとかそういうレベルじゃなくて、私もそうしたくなっちゃうの。」

 

 

「支配することに支配されている。」

 

 

「まさにそうとも言えるかもしれないわね。そこまで来たらどっちがSでどっちがMか分からなくなるの。そうすると、自分のアイデンティティの崩壊が始まるのよ。今までの自分に対する自信が揺らいでくるのよね。」

 

彼女はそこまで話すと、ゆっくり煙を吸い込み吐いた。まるで、自分の中身を入れ替えようとしているかのように。

 

「そういうお客さんが来たら、私はもうそのお客さんがいないとダメになるの。恐らく恋をしている、そういう状態なのかしら。実は今日、そういうお客さんが遠くに行くことになっちゃって、もう会えなくなっちゃうの。だから、少し落ち着く空間が必要だったのよね。こういう話、嫌いかしら?」

 

「いえ、とても新鮮です。」

 

「覚えておいてね。私たちも人間なの。夜に生き過ぎてしまうともう戻れなくなるけど、それでも人間なのよ。私の場合は、純粋な恋なんて言われないだろうけど、それでも私にとって、そのお客さんには純粋に恋をしていたように思うわ。」

 

彼女は、ぼんやりとした照明の中で、寂しそうに微笑んだ。一条の煙が天井へ流れていく。

 

「君はまだこちらの世界に来たばかりでしょう?覚えておいてね、ここに長くいるともう戻れなくなるわよ。一生ここで生きる覚悟が出来たら、そうすればいいわ。何だかお説教臭くなっちゃったけど、お話聞いてくれてありがとうね。また明日から仕事が頑張れそうな気がするわ。あなたも、頑張って人生を生きてね。」

 

 

 

それ以来彼女には会っていない。

 

全てを彼女の作り話だとすることも出来るけれど、何となく生々しくリアルに迫ってくるような話であった。

 

夜の世界には、色んな人間が存在する。どのような理由でその世界に足を踏み入れたのは分からない。意志を固めている人もいれば、流れに身を任せている人もいるだろう。

 

 

 

結局のところ、僕はミュージシャンの生活を6年ほど続けていた。その時間が長いかどうかは全く分からない。戻れているのかどうかもわからない。ただ確実に言えるのは、僕はパニック障害になってしまい、昼の世界への復帰に躓いてしまっているということだ。

 

 

でも、焦る必要はない。

 

 

人生はなるようにしかならないと思うし、今僕が求めているのは彼女が持っていたような、しなやかな強さを持つことだ。

 

 

 

そして、いつかまたあの街で0時を過ぎてからブルースを演りたいと思う。

それが彼女たちのわずかな癒しになるのであれば。